丘長春
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丘 長春(きゅう ちょうしゅん, 1148年(皇統8年) - 1227年)は、道教において金・元時代に新興した一派である全真教の道士。本名を丘処機といい、字は通密、長春は全真教における道号であり、尊称して「長春真人」とも呼ばれる。山東省棲霞の出身である。なお、姓に「丘」字ではなく、「邱」字を使用してるテキストがあるが、これは、清朝が儒教の祖としての孔子に対して帝号を追贈した際に、孔子の諱である「丘」字を使用禁止としたため、避諱のための文字として「邱」で置き換えたことによるものであり、本来は「丘」が正しい。
全真教の開祖王重陽について学び、その高弟を指す「七真人」中でも筆頭と目された。全真教の歴史において、開祖王重陽の実質的な後継者として教派を隆盛に導いたのは、丘長春の功績である。
また、1222年に西アジア遠征中のチンギス・ハーンの招請を受けるや、その高齢を省みることなく弟子たちを引きつれて遠く西域まで赴き、現在のアフガニスタンでチンギス・ハーンに拝謁し、なおかつ不老長生の秘訣を問うたチンギスに全真教の教えを説いたことでも広く知られている。チンギス・ハーンはこの労に報いて長春にモンゴル帝国の占領地における全真教保護の特許を与えた。「長春真人西遊記」および「玄風慶会録」は、その西域遊方の時の記録であり、一行が旅程で通過した当時のモンゴル高原および中央アジアに関する非常に貴重な情報となっている。
長春は西域から帰国後、燕京(北京)にある長春宮(天真観)に住して広く大衆の信仰を集め、その地で没した。