上杉景信
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上杉 景信(うえすぎ かげのぶ、大永7年(1527年) - 天正6年(1578年))は上杉氏の一族。
古志長尾氏の当主で、通称は古志の十郎(もしくは越の十良)。
古志長尾氏は長尾景虎の一門衆筆頭格で、上田長尾家の長尾政景や山本寺定長らと共に景虎の重臣として名を連ねた。永禄四年に景虎が関東管領上杉家の名跡を継ぎ上杉謙信を名乗ると景信も上杉姓を許され以後は上杉十郎景信と名乗り、謙信の関東征伐や対武田戦に参加した。だが、同じ重鎮であった上田長尾家とは元来幾つかの小競り合いを演じた対立関係であり、謙信没後の御館の乱で長尾政景の実子で謙信の養子であった上杉景勝が上杉景虎と家督争いを始めると、その対立関係上上杉景虎を支持して景勝方と対立したが、居多浜の戦いで村上国清と戦い戦死した。