三田平凡寺
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三田 平凡寺(みた へいぼんじ 1876年 - 1960年1月)は明治大正期の地主で珍品蒐集家。特異な趣味人として知られた。
富裕な材木商の息子として東京市芝区車町(現在の東京都港区高輪)に生まれ育つ。本名、三田林蔵。小林清親に絵を師事。さらに川柳や狂歌や漢詩などの習い事に才能を発揮したが、幼い頃に聴力を失ったため家業を継がず、泉岳寺周辺の地主となった。
19世紀末、日本に入って間もないローラースケートを逸早く購入してこれに熱中、ついには車町の自邸の2階をスケート場に改築し、ここで存分にローラースケートを練習した。さらに、形のいい大便を排泄した時には、その便を石膏で型取って模型を作り、それに金粉を塗り込んで保存するなど数々の奇行で知られた。
30歳頃まで孫悟空を崇拝して鈍知空(知空)と名乗っていたが、1909年、趣味山平凡寺を名乗り、趣味人の会である我楽他宗(がらくたしゅう)を設立。門人に旧福井藩主松平侯爵(文殊寺)やインド人G・シング、ポーランド詩人ルビエンスキーなど。宮武外骨やアントニーン・レイモンドと家族ぐるみの親交があった。
膨大な蒐集品は戦時中疎開するに際して自宅の庭に埋めておいたところ、帰宅後には全て紛失していた。
夏目漱石を尊敬し、『吾輩は猫である』のパロディ『吾輩も猫である』を著した。末娘の嘉米子(ハープ奏者)は漱石の長子である夏目純一と結婚した。その間に生まれたのがマンガ・コラムニスト夏目房之介である。房之介は漱石の孫でもあるが、本人は漱石の血よりも平凡寺の血を濃厚に受け継いでいるように感じると語っている。
[編集] 参考文献
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