一柳頼紹
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一柳 頼紹(ひとつやなぎ よりつぐ、文政5年(1822年) - 明治2年7月14日(1869年8月21日))は、伊予小松藩の第8代藩主。父は第7代藩主・一柳頼親の従弟で旗本の村越茂助(頼紹は長男)。正室は秋月種任の娘・マス子。側室に原田氏。官位は従五位下、因幡守。兵部少輔。
1822年、江戸で生まれる。1832年に先代藩主の頼親が死去したため、その養嗣子として後を継ぎ、叙任する。藩政では文教政策に尽くした。幕末期の動乱の中では小松藩から多くの尊王派の人材が輩出したが、頼紹自身も尊王派として軍を率いて上洛し、三条実美や沢宣嘉らと親交を持った。1868年の戊辰戦争では、新政府側として越後や出羽などに転戦して武功を挙げた。1869年6月24日、版籍奉還により藩知事となるが、直後の7月14日に東京で死去した。享年48。後を長男の一柳頼明が継いだ。法号:恭靖軒殿大道義譲大居士。墓所:小松町の仏心寺山。