一柳頼欽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一柳 頼欽(ひとつやなぎ よりよし、宝暦3年7月27日(1753年8月25日) - 寛政8年8月15日(1796年9月16日))は、伊予小松藩の第6代藩主。父は第5代藩主・一柳頼寿(頼欽は次男)。母は堅性院。正室は牧野惟成の娘。一柳末栄の娘・琴松院。側室に謙光院。官位は従五位下、美濃守。兵部少輔。
1753年7月27日生まれ。幼名は慶次郎。兵庫。長兄の一柳頼忠が早世したため、1770年閏6月に世子となった。初名は頼恭で、後に頼欽と名乗る。1779年8月7日、父の隠居により後を継ぎ、同年12月に叙任する。しかし藩政においては、その治世中にたびたび火災に見舞われるという災難が続いた。1796年8月15日、江戸で死去し、後を長男の一柳頼親が継いだ。法号:勇義軒殿英山宗俊大居士。墓所:小松町の仏心寺山。