一柳末英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一柳 末英(ひとつやなぎ すえふさ、宝暦8年(1758年) - 文化7年7月14日(1810年8月13日))は、播磨小野藩の第6代藩主。父は第5代藩主・一柳末栄。母は真田信弘の娘。正室は板倉勝行の妹(板倉勝任の養女)。官位は従五位下。土佐守。左京亮。
1758年9月、江戸で生まれる。1779年9月16日、父の隠居で家督を継ぐ。駿河加番となった。1804年7月5日、病を理由に子の一柳末昭に家督を譲って隠居し、1810年7月14日に53歳で死去した。墓所:東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
- 小野藩一柳氏歴代当主
- 1779年 - 1804年
-
- 先代:
- 一柳末栄
- 次代:
- 一柳末昭