一柳末昆
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一柳 末昆(ひとつやなぎ すえひで、元禄12年(1699年) - 元文2年8月12日(1737年9月6日))は、播磨小野藩の第4代藩主。父は第3代藩主・一柳末礼の養嗣子であった一柳直昌。母は清閑寺氏。正室は一柳直長の娘。官位は従五位下。対馬守。土佐守。
1699年、江戸にて生まれる。父の直昌は先代藩主・末礼の養嗣子であったが、末礼より先に早世したため、その直昌の息子である末昆が1712年、末礼の死去によりその養嗣子となって後を継いだ。駿河加番となる。1737年8月12日に39歳で死去し、後を子の一柳末栄が継いだ。墓所:東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
- 小野藩一柳氏歴代当主
- 1712年 - 1737年
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- 先代:
- 一柳末礼
- 次代:
- 一柳末栄