一条実輝
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一条 実輝(いちじょう さねてる、慶応2年(1866年) - 大正13年(1924年))は日本の華族、海軍軍人。海軍大佐・正二位・公爵に上り、東宮侍従長を務める。陸軍中将・侯爵の四条隆謌七男。一条家は藤原氏北家、九条道家の四男実経を始祖とし、五摂家の一つに数えられる。実輝は一条忠貞の後を受け家督を継ぐ。
フランス留学の後従軍した日清戦争、その後の日露戦争で功を挙げる。フランス公使館附海軍武官を経た後退役し宮内省に入る。宮内省では掌典次長、祭官長、東宮侍従長等を歴任し、後に明治神宮宮司となる。大正13年(1924年)59歳で薨去。
実輝の子実基は分家として明治35年に男爵を授爵する。常光は佐野常羽の養子となり、利英は南部利淳の養子、朝子は伏見宮博義王妃、直子は閑院宮春仁王妃、圭子は鍋島直方夫人、生子は伊達宗克夫人となる。一条家の後は大炊御門師前の長男実孝が継ぐ。
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