ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(Wolfram von Eschenbach、1170年頃-1220年頃)は、中世ドイツの騎士であり詩人。シュタウフェン朝時代における三大宮廷詩人の一人として知られる。
[編集] 生涯
ヴォルフラムの生涯について明確に記した文献は残っていない。しかし残された彼の作品から推測することができる。叙事詩『パルツィファル』の中で、彼は「われ等はバイエルン人なり」と歌い、東フランコニアの方言で作詞していること、そしてその他の地理的な資料などから、彼がバイエルンのアンスバッハ出身であると考えられる。現在、彼はエッシェンバッハと呼ばれているが、かつてはオベレッシェンバッハと呼ばれた。
マネッセの文献に見られるパルツィファルの紋章は14世紀の創作で、ヴォルフラムの作品とは直接関係がない。
彼の創作活動には数多くのパトロンがいたらしい。中でも有力なパトロンがサルディニア公へルマン1世だ。それは同時に、彼がたくさんの宮廷を渡り歩いていたことを示す。『パルツィファル』の中で、彼は自分が文盲で口述筆記により作品が記録されていた、としているがはっきりしない。
[編集] 作品
今日ヴォフラムは叙事詩『パルツィファル』の作者として広く知られており、当時のドイツ人詩人の中で高い評価を受けている。クレティアン・ド・トロワ(クレチェン)の『聖杯伝説』に基づき、ドイツ語で最初の『聖杯伝説』の叙事詩を作った。『パルツィファル』の中で、ヴォルフラムはクレチェンの作品については軽蔑しているふしがある。ヴォルフラムはフランス、プロヴァンス地方の「キョト」という場所に伝えられた詩を元に『パルツィファル』を創作した、としている。「キョト」とは、プロヴァンス地方の「ジョット」ではないかとする学者もいる。クレチェンの聖杯伝説に関する作品は現在残っていない。また、ヴォルフラムは、自身の『パルツィファル』がクレチェンの作品とはまったく別物であることを示すため、「キョト」という地名を意図的に作ったのではないかとする説もある。
ヴォルフラムは他に2つの物語を残している。イスラーム教徒と戦う騎士をうたった『ヴィルハルム』(未完)とやはり断片的にしかできあがっていない恋愛物語の『ティトゥレル』である。両方とも『パルツィファル』の後に創作されたものである。『ティトゥレル』の中でヘルマン1世の死が触れられていることから、1217年以降の創作であることがわかる。現存するヴォフラムの9つの作品のうち5つは中世ドイツの恋愛歌の傑作といわれている。
[編集] 作品に対する評価
現存する『パルツィファル』の文献は完全なもの不完全なもの合わせて84にものぼり、この作品が以後2世紀に渡ってたいへんな人気であったことがわかる。『ヴィルハルム』に関しても78もの文献が現存しており、『パルツィファル』とたいして変わらない。これらの作品は1240年代になり、ユリッハ・ボン・タレイムにより『レネワート』という題で続編が作られた。未完の『ティトゥレル』はアルブレハという詩人により続編が作られ、『ユンゲ・ティトゥレル』の題で発表された。
近代になって彼の作品が注目されるようになったのは、1753年にスイス人学者ヨハン・ヤコブ・ボドマーにより翻訳され、出版されたことがきっかけだった。また、19世紀に入りドイツでロマン主義が高揚する中、自らの民族性のルーツを求めて中世の叙事詩に注目が集まっていたことも挙げられる。こうした中、『パルツィファル』はリヒャルト・ワーグナーのオペラ『パルジファル』の題材として用いられた。ワーグナーの別のオペラ『タンホイザー』ではヴォルフラムが登場人物の一人として描かれている。