ヴァルター・ツァップ
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アルフレート・ヴァルター・ツァップ(Alfred Walter Zapp, 1905年9月4日 リーガ - 2003年7月17日 ビンニンゲン・バイ・バーゼル Binningen bei Basel)はミノックスの発明者であり、且つ、「ミノックス GmbH.Wetzlar.」の創業者であり、ミノックスシステムの構築者である。
[編集] 略歴
1905年9月4日、ラトビアで、ドイツ系移民(父は商人)として生まれる。1918年、亡命していた家族とともにリガに戻る。その後、1921年エストニアに移住。1922年、17歳で神経症のため美術工芸学校を中途退学、1920年、伯父の経営する印刷工場でリトグラフを習熟。1921年、失業登録をしていた職業安定所の紹介で写真技師のアトリエに就労。1924年、19歳のとき「印画紙断裁機」を発明、登録出願する。同年、手作りカメラのモデルを作成。
1929年、24歳の時肺結核に罹患。1932年、写真家の友人、ニキシー (Nixi) の紹介で、先輩の写真家でカメラ研究家のR・ケーゲンスから援助を受け、共同で超小型カメラの開発の研究にとりかかる。1935年、1月19日、同氏と超小型カメラのミノックスの開発を開始し、原図を完成させる。機械工のエプナーが工作機械と製作を担当、レンズはシュルツ(Schltz)教授に設計依頼、同年9月16日に完成。
1936年、10月、プロトタイプのミノックス原型が製造・完成。1936年、VEF (Valsts Electrotechniska Fabrikd) 社のテオドール・ウィトルツが製造を契約、同教授はツァップに開発資金として3,000ドルを計上し、VEF 社の65人以上のスタッフが製造することになる。1939年、ミノックスは17,000台を製造販売。
ツァップ は1941年にラトビアを去り、ドイツ・ベルリンのイーゲーファーベン工業(アグファの親会社)に迎えられる。第二次世界大戦後、ヤーゲンスと共に現法人の同地であるウェッツラーに1945年に移転し「ミノックス GmbH.Wetzlar.」を設立。翌1946年にリン家の援助で会社を再建し営業・製造を本格的に開始。その後、多数の名機を製造・販売し、「ミノックス・システム」を構築し、2003年7月17日、スイスで没。