ロドリゲス島
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ロドリゲス島(Rodrigues)とはインド洋のモーリシャス島から北東560Kmに位置するモーリシャス属領の孤島である。
火山の島で最高峰はリモン山(396m)。島の周囲は広いラグーンに囲まれている。
面積103km2、人口約40,000人、ロドリゲス島の中心地および州都は人口約2,000人のポートマチュリン。
経済は開発が遅れており、牧畜、漁業、農業が中心。最近ではエコ・ツーリズム的な観光産業に力を入れている。
[編集] 歴史
ポルトガル人ディエゴ・ロドリゲスが1597年か1528年に発見された。しかし10世紀にアラブ人航海士が島に訪れていたと言う。ロドリゲスによる島の到着後、たびたびヨーロッパ人が島に訪れるが長期滞在者はいなかった。 フランスのルイ14世がアンリ4世国王の出した新教徒を認めるという勅令を撤回したためフランスの新教徒一団はオランダに逃げた。その頃、オランダのインド会社がインド洋に船団を送り込みロドリゲス島の植民地を狙っていた。1691年にオランダに逃げていたフランスの新教徒フランソワ・ルガとその一団はオランダ政府の庇護の下で、プロテスタントの社会を築き上げようとロドリゲス島に住み着いた。彼ら新教徒たちは2年間島に住み着くが、孤独とサイクロンなどに悩まされ、ついにはモーリシャスに逃げた。18世紀になるとフランスがレユニオン、モーリシャスそしてロドリゲス島に植民地化を狙って入植者を送り込んだ。特にロドリゲス島は航海船の食料補給基地としての役割が大きく、ロドリゲス島は発展していった。食料とされたのは島に生息しているドードー(ロドリゲスドードー)と言う鳥、そしてゾウガメである。が、両方とも人間に大量殺戮され絶滅してしまった。19世紀になるとイギリスが占領。1715年にフランスに占領されるが1810年に再びイギリスが占領しイギリスの領土になった。1968年にモーリシャスがイギリスから独立。現在ロドリゲス島はモーリシャスの一州で独自の自治省を設置している。