ロック岩崎
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ロック岩崎 (ロックいわさき、1951年11月28日 - 2005年4月21日) は、元航空自衛官、エアショーパイロットである。本名:岩崎 貴弘(いわさき たかひろ)。
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[編集] 経歴
1970年3月航空自衛隊に入隊(航空学生第26期)し、F-86F、F-104J、F-15Jなどのジェット戦闘機操縦者として空中勤務に従事。模擬戦で旧式機F-104を用いて新鋭機F-15を駆る米空軍を「撃墜」したり、F-15に搭乗している時期に、今度はF-15よりも軽量で機動性に優れたF-16で模擬戦を挑んできた米軍を返り討ちにしてしまうなど、テクニックとセンスを兼ね備えた天才であった。 F-15Jで低空における「ナイフエッジ」飛行を成功させたり、「横転コルク抜き」という空戦機動を編み出した事でも有名である。
ニックネームの「ロック」は空自時代のTACネームに由来する。
1995年7月に二等空佐で退官。その後はエアショーパフォーマーを目指しアメリカ合衆国に渡り、サンノゼ市アルプスナイスエアーを拠点として、カリフォルニア州キングシティーに所在するショーン・D・タッカーに師事する。1996年3月に優秀な成績でプロ・エアーショーライセンスを取得し帰国。ロックは自著の中で、空自を辞しエアショーパイロットとして再出発しようとした動機を、戦闘機乗りとしての寿命が尽き地上勤務を命ぜられるよりも、いつまでも空を飛び夢を見せたかったからと説明し、ブラックボックス化が進む前のシンプルな単座機への愛着を語っている。
同年8月に「民間版ブルーインパルス」を目指しアクロバット飛行チーム AIRock(エアロック)を設立、11月に和歌山県南紀白浜空港で開催された「スカイレジャージャパン'96」で日本初のプロ・エアショーパイロットとしてデビューを果たす。
その後、航空自衛隊の基地祭を中心に各地で曲技飛行の技を見せたが、2005年4月21日に但馬空港にて訓練中に事故に遭遇し他界した。航空・鉄道事故調査委員会の調査ではハードスケジュールによる過労やGによりサングラスがずれたこと、あるいは持病の花粉症やその治療薬による影響を指摘しているが、事故原因は不明。享年53。
[編集] 著作
- 岩崎貴弘『最強の戦闘機パイロット』講談社、2001年。ISBN 4062106728