レッド・ツェッペリン I
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レッド・ツェッペリン I | ||
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レッド・ツェッペリン の アルバム | ||
リリース | 1969年1月12日 | |
録音 | 1968年10月 オリンピック・スタジオ, ロンドン |
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ジャンル | ロック | |
時間 | 44 分 51 秒 | |
レーベル | アトランティック Atlantic / Polydor 588171 |
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プロデュース | ジミー・ペイジ | |
レビュー | ||
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レッド・ツェッペリン 年表 | ||
レッド・ツェッペリン I (1969年) |
レッド・ツェッペリン II (1969年) |
レッド・ツェッペリン I (LED ZEPPELIN)は、イギリスのロックグループレッド・ツェッペリンのデビューアルバム。1969年(昭和44年)1月12日発売。プロデューサーはジミー・ペイジ。レコーディング・エンジニアはグリン・ジョーンズ。
目次 |
[編集] 経緯
(詳しくはレッド・ツェッペリンおよびジミー・ペイジの項目も参照)
1968年夏、イギリスのブルース/ロックグループヤードバーズからキース・レルフおよびジム・マッカーティーが脱退。残された二人のうちクリス・ドレヤも写真家に転向することを決意した。ただ一人残ったギタリスト、ジミー・ペイジは、バンド名の継承権を得るとともに、ヤードバーズが契約していたスカンディナヴィアでのツアーを実施する責務を負わされることとなった。ペイジは急遽、セッション・ミュージシャンとして令名高かったジョン・ポール・ジョーンズ、若手の無名ヴォーカリストだったロバート・プラント、同じく若手の無名ドラマーだったジョン・ボーナムをメンバーとするバンドを結成、「ニュー・ヤードバーズ」の名でツアーを行なった。
しかしこのバンドが、単なる苦し紛れの寄せ集めバンドでは終わらないことは、結成当初から明らかだった(最初に4人が集まって音合わせをした瞬間から、このバンドが凄いものになることが直感できたという点でメンバーの回想は一致している)。彼らはヤードバーズの名を捨てて「レッド・ツェッペリン」を名乗り、1968年10月、ロンドンのオリンピック・スタジオで最初のレコーディングを開始した。
[編集] 録音
スカンディナヴィア・ツアーの間に楽曲のすり合わせは充分できていたため、このアルバムはわずか9日間、36時間のスタジオ・ワークで完成してしまった。総制作費用は1,782ポンド(推定)。
一般にレッド・ツェッペリンはハード・ロックを定義するバンドと目され、時にはヘヴィ・メタルの元祖と見なされることもあるが、このアルバムを聴けば直ちに納得できる通り、彼らの音作りは間隙を生かした空間感覚の演出に特徴があり、HM/HRの「目一杯に音を詰め込む」という方法論とはむしろ対極に位置する。その空間感覚を生かすため、このアルバムは最初からステレオ版だけがリリースされた(1960年代末にはまだモノラル版のアルバムも珍しくなかった)。
[編集] ジャケット
表ジャケットには燃え落ちるツェッペリン飛行船ヒンデンブルク号がモノクロで印刷されている。通説では「Led Zeppelin(Lead Zeppelin、鉛の飛行船)」というバンド名はキース・ムーンが考案したものと言われるが、ジョン・エントウィッスルはバンド名もジャケット・アートも元々自分のアイデアだったと主張した。これに対してペイジは、ジャケットは自分たちで考えたもの、バンド名はキース・ムーンから聞いたものだが、元来エントウィッスルが考えたものがムーン経由で伝わったのかもしれず、だとしたらエントウィッスルのクレームも納得できる、と述べている。裏ジャケットにはメンバー四人の写真が使われているが、この写真はクリス・ドレヤが撮影したものである。
[編集] 収録曲
(LPレコードの表記をもととする)
Side A
- グッド・タイムズ・バッド・タイムズ (Good Times Bad Times / Page, Jones & Bonham)
- ゴナ・リーヴ・ユー (Babe I'm Gonna Leave You / Trad-arr.by Jimmy Page)
- ユー・シュック・ミー (You Shook Me / Willie Dixon)
- 幻惑されて (Dazed And Confused / Jimmy Page)
Side B
- 時が来たりて (Your Time Is Gonna Come / Page & Jones)
- ブラック・マウンテン・サイド (Black Mountain Side / Jimmy Page)
- コミュニケイション・ブレイクダウン (Communication Breakdown / Page, Jones & Bonham)
- 君から離れられない (I Can't Quit You Baby / Willie Dixon)
- ハウ・メニー・モア・タイムズ (How Many More Times / Page, Jones & Bonham)
プラントは他との契約が残っていたため作曲者としてクレジットされていない。
ところで上の著作権表記は問題が多く、曲によってはデタラメと評すべきものもある。
- A-2は長いことトラディショナル・ナンバーなのだと信じられていたが、1980年代になってアン・ブレドンというアメリカ人女性の作品であることが判明し、クレジットが「Anne Bredon / Jimmy Page & Robert Plant」と改められた。
- A-4は実はアメリカのフォーク・ロック・シンガー、ジェイク・ホルムズの作品。
- B-2は実はトラディショナル・ナンバーで、直接的にはバート・ヤンシュの「Black Water Side」の引用。
- B-5は既存曲数曲の合成。
[編集] チャート・アクション
「レッド・ツェッペリン I」は1969年1月12日、まずアメリカで発売された。ビルボードのチャートに73週連続チャートイン。最高位は10位。イギリスでは1969年3月28日発売。79週連続チャートにあり、最高位は6位。結局この1,782ポンドで制作されたアルバムは、1975年までに350万ポンド以上を売り上げたものと推定されている。
[編集] 影響と評価
「ブルースを基礎として、ギターによるリフの上にシャウトするヴォーカルをかぶせる」という音楽のスタイルは、別段レッド・ツェッペリンの独創になるものではなく、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、そして直接的には第1期ジェフ・ベック・グループが先鞭をつけている。しかしこれらレッド・ツェッペリンに先行する人々の音楽が、あくまでも「ハードに演奏されたブルース」であったのに対して、「レッド・ツェッペリン I」に収録された楽曲は明らかに「ブルースを基礎としたハード・ロック」であった。この微妙な、しかし決定的な差異がレッド・ツェッペリンを新時代のロック・グループとして急上昇させたのである。論者によっては「1969年1月12日、突然に、しかもその完成形を以てハード・ロックが出現した」とまで述べている。「レッド・ツェッペリン I」の大々的な売り上げは、その音楽が如何に時代の嗜好に合致していたかということを物語っていよう。
他方、明らかに他者の曲なのに知らぬ顔で自作曲としてクレジットする態度は、プロ(と自称する)音楽関係者の反感を招いた。レッド・ツェッペリンに浴びせられた「黒人音楽の遺産を食いつぶすイカサマバンド」という悪罵もまた、このアルバムを源とするのである。
レッド・ツェッペリン |
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ジョン・ボーナム - ジョン・ポール・ジョーンズ - ジミー・ペイジ - ロバート・プラント |
オリジナルアルバム: レッド・ツェッペリン I - II - III - (IV) - 聖なる館 - フィジカル・グラフィティ - プレゼンス - 永遠の詩 (狂熱のライヴ) - イン・スルー・ジ・アウト・ドア - 最終楽章 (コーダ) |
その他のアルバム: ボックスセット - ボックスセット2 - リマスターズ - BBCライヴ - 伝説のライヴ |
映像: レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ - レッド・ツェッペリン DVD |
楽曲: 「限りなき戦い」-「天国への階段」-「カシミール」 |
関連事項: ピーター・グラント - スワンソング・レコード |