ルアンダ
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ルアンダ(Luanda)は、アフリカ南西部アンゴラ共和国の首都で、最大の都市でもある。大西洋に面し、アンゴラの主要港であると共に行政の中心でもある。ほぼ300万人の人口(1995年)を擁し、ルアンダ県の県都でもある。
産業には加工食品、飲料、織物、セメントや他の建築資材、プラスチック製品、金物、タバコ、靴の生産が含まれる。近郊で産する石油の精製所があるが、この施設は内戦のあいだ、繰り返し被害を被った。 ルアンダにはすばらしい天然の港があり、主要な輸出品目にはコーヒー、綿、砂糖、ダイヤモンド、鉄、塩がある。しかしルアンダの経済はアンゴラ国内で進行中の軍事衝突によってひどく混乱し続けている。
ルアンダの住人は主にアフリカ系民族であり、 住民にはオビンブンドゥ族、キンブンドゥ族、バコンゴ族が含まれる。アンゴラの公用語はポルトガル語であるが、たくさんのバンツー語に関連した土着の言語が話されている。ヨーロッパ系の住民はごくわずかである。
[編集] 歴史
ルアンダは1575年にサン・パウロ・デ・ルアンダ (São Paulo de Luanda) としてノヴァイスの率いるポルトガル人によって植民され、アフリカ黒人奴隷の重要な輸出港となった。1641年オランダによって占領されたが、1648年にはブラジル植民地軍によって奪回されている。奴隷供給源の喪失はブラジル植民地にとって大打撃だったからである。ブラジルとルアンダの結びつきは強く、1822年のブラジル独立時にはアンゴラをブラジルの植民地とする動きさえあったが、ブラジルにおける奴隷貿易停止によって関係は消滅した。1960年代からアンゴラはポルトガル軍と独立戦争を戦い、1975年のアンゴラ独立後、多くのポルトガル人が町から去り、アンゴラ独立戦争時に革命軍を支援したキューバ人が取って代わった。キューバ人の多くは兵士であった。
ルアンダにはローマ・カトリックの大司教座がおかれている。またアンゴラ大学、17世紀に建てられた砦であるサン・ミゲル要塞、旧ポルトガル総督府などがある。