リバー・フェニックス
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リバー・フェニックス(River Phoenix, 1970年8月23日 - 1993年10月31日)はアメリカ合衆国の映画俳優で、同世代では最も将来の約束されたスターであった。オレゴン州マドラス出身。
貧しい家庭に育ち、妹と共に、路上でパフォーマンスをして生活費を稼いでいた。リバーが『スタンド・バイ・ミー』に出演して初めて、リバーの家庭は車を買うことができたそうである。
『マイ・プライベート・アイダホ』でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞を受賞。彼の代表作とされ、この演技は俳優仲間にも評判が良かった。
1993年、ジョニー・デップが所有するウエストハリウッドにあるナイトクラブ、「ヴァイパー・ルーム」の入り口付近で麻薬の過剰摂取のために死亡した。享年23。彼の遺体はフロリダ州で火葬された。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』に出演する予定であったが、代役をクリスチャン・スレーターが演じた。なお、彼の最期はレッドホットチリペッパーズのベーシスト・フリーが看取った。
なお、彼の弟のホアキン・フェニックスは現在俳優として成功している。ホアキンが初めて主役級の役を得たのは1995年、ガス・ヴァン・サント監督の『誘う女』で、ニコール・キッドマンと共演した。妹のレイン・フェニックスもヴァン・サント監督の映画『カウガール・ブルース』に出演、妹のサマーも女優である。
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[編集] 評価
心理学者Karen Dionは、女性の中に存在する"本能的な男性観"をとりあげ、「ちゃんとした男」という"現実的"対象に対して、色を帯びた"夢の対象"といえる男性像がどのような女性にも少女性の発露として存在するとし、リヴァーは後者の男性たりうる条件を全て満たしており、なおかつそれがショウ・ビズ的計算によるものではなく、意識せずに満たしていることを指して、半ば冗談を交えながらも「天性としか言えぬ」と表現した。ちなみにその条件("夢の対象"たる男性であるための条件)とは、少なくとも必ず満たされるべきものとしては、1.美男子であること、2.棘があること、3.馬鹿そうであること、4.どこか刹那的な雰囲気であること、の4つが挙げられた。
その人気は世界的なものであり、カリスマ俳優と呼ばれた。
[編集] エピソード
- リバーの家族は本人を含め、全員が厳格なベジタリアン(ヴィーガン)であった。動物を食べることが間違いだと強く信じており、ガールフレンドだった女優のマーサ・プリンプトンがレストランでクラブ・サンドを注文したとき、リバーは失望して泣き出してしまったという。また、彼が主演映画『スタンド・バイ・ミー』の宣伝のために来日した際にそば屋で注文したざるそばのそばつゆに、ヴィーガンなら本来は摂ることを避ける鰹節が使われていることに薄々気づいたが、結局うやむやにされたという。
- リバーは単なるセックスシンボルと見られることを非常に嫌っていたようである。
[編集] 主な出演作品
- エクスプロラーズ Explorers (1985)
- モスキート・コースト The Mosquito Coast (1986)
- スタンド・バイ・ミー Stand by Me (1986)
- ジミー/さよならのキスもしてくれない Jimmy Readon(1987)
- リトル・ニキータ Little Nikita The Sleepers (1988)
- 旅立ちの時 Runnig on Empty (1988)
- インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 Indiana Jones and the Last Crusade (1989)
- 殺したいほどアイ・ラブ・ユー I Love You to Death (1990)
- 恋のドッグファイト Dogfight (1991)
- マイ・プライベート・アイダホ My Private Idaho (1991)
- スニーカーズ Sneakers (1992)
- アメリカンレガシー Silent Tongue (1992)
- 愛と呼ばれるもの The Thing Called Love (1993)
[編集] 関連項目
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