リドリー・スコット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リドリー・スコット(Ridley Scott、1937年11月30日 - )は、イギリス生まれ、ロンドン王立美術大学卒業で、アメリカ合衆国の映画監督。同じ映画監督トニー・スコットの兄である。
大学卒業後、BBCを経てCFの制作会社を設立。数多くのCFを制作し、各国の国際映画祭で数々の賞を受賞。その後、映画界に進出。デビュー作『デュエリスト/決闘者』(1977)でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞。『エイリアン』、『ブレードランナー』の頃には、数多くのファンを獲得する。『グラディエーター』でアカデミー賞作品賞を受賞。
イギリスの自宅に日本人女性(高尾慶子)をハウスキーパーとして雇っていたことがあり、彼女の著書で彼の性格や彼の母親とのエピソードが読める。
映像や美術に非常にこだわる監督として知られており、そのこだわりから映画会社と衝突することが絶えない。ちなみに彼のこだわりは悪趣味といっていいほどで、描く必要のない残酷なシーン(目を潰す所をアップで見せる、絞殺刑でもがき苦しむ姿を延々と見せる、高い所から落ちた人間の足から骨が飛び出ている、女性の死体がなぜか下着をつけていない、首を吊り下げられた死体が焼け焦げている、戦場の跡にハゲタカがいる、首塚がさらりと出てくる、首なしの死体を馬に乗せては走らせるなど)が随所に見られる。また熱心なファンの間では、スコットが本当にセットデザインに拘って作り上げた作品は「エイリアン」「ブレードランナー」「レジェンド/光と闇の伝説」のみと言われている。この三作で消耗した苦い経験がある為、「誰かに見られてる」以降はよりバランス感覚を持って作品作りに臨むようになり、「ブラック・レイン」などでは雇われ監督に徹した。しかし時には「1492コロンブス」「白い嵐」のように観客の嗜好を読み違えて失敗する事もある。
映画監督としては超一流の映像派の巨匠である。しかしながら、アカデミー賞に嫌われている監督であり、今までに一度も受賞していない無冠の名監督である。 また広告業界では80年代に既に成功しており、ハリウッドで映画監督という仕事を「趣味」で続けられるという極めて特権的な位置にいる監督の一人である。先述の高尾慶子の著作によると、ロンドンと南フランスとビバリーヒルズに使用人つきの豪邸を構えているという。
息子のジェイク・スコットもミュージックビデオやCMのディレクターとして活躍、『プランケット&マクレーン』で劇場映画監督デビューを果たした。
「エイリアン」以来30年近くに渡り、全ての作品では無いが、一般の観客と映画ファン双方の関心を集める映画を作り続けている事は、年齢を考慮すると驚異的であり、興業価値のあるヴェテラン監督としてはスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスに次ぐ存在という見方も成り立つ。
[編集] 監督作品
- デュエリスト/決闘者 (1977) *カンヌ国際映画祭新人監督賞
- エイリアン (1979)
- ブレードランナー (1982)
- レジェンド/光と闇の伝説 (1985)
- 誰かに見られてる (1987)
- ブラック・レイン (1989)
- テルマ&ルイーズ (1991)
- 1492・コロンブス (1992)
- 白い嵐 (1996)
- G.I.ジェーン (1997)
- グラディエーター (2000) *アカデミー賞作品賞
- ハンニバル (2001)
- ブラックホーク・ダウン (2001)
- マッチスティック・メン (2003)
- キングダム・オブ・ヘブン (2005)
カテゴリ: イギリスの映画監督 | アメリカ合衆国の映画監督 | CMディレクター | 1937年生