ラリー・キング
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ラリー・キング(Larry King、本名:Lawrence Harvey Zeiger、1933年11月19日 - )は、アメリカ合衆国のブロードキャスター。世界で最も有名な放送人のひとりである。
CNNの看板トーク番組『ラリー・キング・ライブ』:Larry King Live の番組ホストとして知られる。テレビ・ラジオの番組ホスト以外にもコラムニスト・俳優としても活躍している。
大きめの縁眼鏡・いかり肩・捲り上げた袖・サスペンダーがトレードマークで、アメリカ放送人随一とも言われる巧みな話術によりトークの帝王、マイクの名匠などの異名を持つ。
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[編集] 経歴
ベラルーシからのユダヤ移民の二世としてニューヨーク州ブルックリンに生まれる。22才の時にラジオ局の働き口を求めてフロリダ州へ移り、マイアミの小さなラジオ局WAHRに就職。雑用係として雇われたのだがアナウンサー欠員のため1957年5月1日に初めて番組のディスクジョッキーを務めた。その後、ゼネラル・マネジャーから本名が覚え難いと指摘されてラリー・キングに改名し、ニュース専門AMラジオ局WIODでマイアミ・ビーチのレストランを舞台にしたインタビュー番組を開始。来店客などにインタビューしていたが、番組開始から2日後、コンサートを終えてレストランに来店した当時のアイドルスターBobby Darinへのインタビューが初の有名人インタビューとなる。
マイアミのラジオ番組は評判となり、1960年にABCネットワーク傘下、フォートローダーデールの地元テレビ局WPLG(Channel 10)で討論番組のホストを務め、今日の礎を築いた。
ところが、金融取引に関係した不祥事で1971年12月20日に逮捕され、3年間放送の世界から遠ざかっている。この間、ルイジアナ州のレース場でPRディレクターを務めたり、Esquire誌にスポーツ記事を書く等の仕事をしている。
その後、WIODに再雇用されてラジオ界に復帰し、1978年全米ネットの夜のトークショー番組を担当する事により全米規模で知られる存在になった。
1994年まで続いたこの番組の成功により1985年6月からCNNの番組に出演するようになるが、ヘビースモーカーとして知られる喫煙が原因で1987年2月27日に心臓発作を起こし生死の境をさまよう。心臓のバイパス手術によって一命は取り留めたが、この時の教訓から禁煙活動や心臓病克服の活動に尽力している。
1997年5月に放送業界40周年を迎え、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名を刻んだ。
[編集] 家族
ラリー・キングは7度結婚(妻は6人だがAlene Akinsとは2度結婚している)し、7人の子供がいる。現在の妻はShawn Southwick。
[編集] 出演作品
俳優として出演した主な作品。ただし、カメオ出演のようなものが多い。
[編集] 映画
- 『ジャッカル』The Jackal(1997年)
- 『マッド・シティ』Mad City(1997年)
- 『ブルワース』Bulworth(1998年)
- 『アメリカン・スウィートハート』America's Sweethearts(2001年)
- 『シュレック2』Shrek 2(声の出演、2004年)
[編集] テレビドラマ
[編集] 外部リンク
- CNN.com紹介ページ(英語)