ヤン・コレル
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ヤン・コレル(コラー)(Jan Koller、1973年3月30日 - )は、チェコ・ロホタ出身の同国代表、リーグ・アン(フランス)・ASモナコ所属のサッカー選手(FW)。愛称は「ディノ(恐竜の意)」だが、元々はその巨体と、そこから連想される鈍重さとを揶揄されて付けられた綽名だった。その綽名が「恐竜のように恐ろしい」と言う意味において正しく、「恐竜のように鈍重」と言う意味で間違いである事は彼の記した輝かしい実績が証明している。体躯を生かしたポストプレーは勿論、足下の技術やクイックネスも確かなものを持つ。チェコ代表は彼のポストプレーから攻撃が組み立てられることが多く、チームのパフォーマンスに与える影響力は、「エース」と呼ばれるネドベド以上と言われるほど絶大である。註:「コラー」はドイツ語読みで、チェコ語では「コレル」が正しい読み方である。
1991年にZVVZミレフスコでプロ生活をスタート。1994年にチェコの強豪クラブスパルタ・プラハへ移籍し、リーグとカップ制覇を果たす。身長202cmの長身を生かし、得点源として活躍し始めたのは1996年にはベルギー・ジュピラーリーグのロケレンへ移籍してからで、1998-1999シーズンには27得点を挙げて得点王に輝き、1999年にはアンデルレヒトへ移籍すると同時に同年のチェコ最優秀選手にも選ばれた。
2001年にはボルシア・ドルトムントに加入。ここでも得点を量産し、2001-2002シーズンのリーグ制覇に貢献した。2005-2006シーズンは左膝の十字靱帯断裂で長期間の戦線離脱を余儀なくされるが、シーズン終了間際に復帰。2006 FIFAワールドカップに出場するチェコ代表に選出され、本戦でもゴールを決めるなど活躍した。06-07シーズンからはフランスリーグのクラブ、ASモナコに移籍する事が内定している。
また、元々ゴールキーパーであったこともあり、2002年には退場処分となったイェンス・レーマンに代わってゴールを守り、バイエルン・ミュンヘンを無失点に抑えた。
[編集] 選手経歴
- ZVVZミレフスコ(チェコ) 1991-1994
- スパルタ・プラハ(チェコ) 1994-1996
- ロケレン(ベルギー) 1996-1999
- アンデルレヒト(ベルギー) 1999-2001
- ボルシア・ドルトムント(ドイツ) 2001-2006
- ASモナコ(フランス) 2006-
ASモナコ - 2006-2007 |
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また、サッカーゲームウイニングイレブンシリーズでは偽名でケマーとなっており、あまりにも有名である。
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