モネール
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フェルナンド・ダニエル・モネール(Fernando Daniel Moner,1967年12月30日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー選手。
[編集] 人物
アルゼンチンリーグのサン・ロレンソから1988年来日し全日空横浜クラブ入り。その後1991年にスペインリーグのアトレティコ・マドリードに移籍したが、1993年のJリーグ開幕に併せて全日空横浜クラブを母体とした横浜フリューゲルスに復帰。ゴールを決めた時にお尻を合せて踊る「モネールダンス」で一躍人気を集めた。1993年5月16日のJリーグ開幕戦(vs清水エスパルス)でもゴールを決め、モネールダンスを披露している。
その後1995年に母国・アルゼンチンに帰国。アトレチコ・トゥクマン、アトレチコ・プラテンセ、アトレチコ・ウニオン・デサンタフェ、アトレチコ・ウラカンを渡り歩いた。2002年シーズン終盤に横浜FCで3度目の日本リーグを経験するが2003年のシーズン開幕前に現役引退を発表。以後横浜FCのホームタウンプロジェクトチーム入りし、少年サッカーなど、サッカーの普及促進活動に務めた。
フジテレビのサッカー番組「さんまのFOOTBALL CX」で、「さんまさん、さんまさん」と明石家さんまを呼びかけるフレーズが人気を集めている。
その時のお金を使い、現在母国アルゼンチンでビルを建設した
横浜時代に参加した少年サッカー教室で、とある少年を「君は将来大物になる」と褒め称えた。彼は後に2006年FIFAワールドカップ日本代表に選ばれ、アルゼンチン永遠のライバルであり史上最強と言われたブラジル代表からゴールを奪うことになる、玉田圭司であった。
[編集] 所属クラブ
- サン・ロレンソ(アルゼンチン)1986-1988
- 全日空(日本)1988-1991
- アトレティコ・マドリード(スペイン)1991/92
- 横浜フリューゲルス(日本)1993-1994
- トゥクマン(アルゼンチン)1995-1996
- プラセンテ(アルゼンチン)1996-1998
- ウニオン・デ・サンタフェ(アルゼンチン)1998-1999
- ウラカン(アルゼンチン)1999-2002
- 横浜FC(日本)2002