メタファー
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メタファー(metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、言語表現における修辞技法のひとつ。
比喩のうち、喩えであることを明示する「~のようだ」のような形式を用いないものを指す。典型的には「人生はドラマだ」のような形式をとる。物事のある側面を、より具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え、簡潔に表現する機能をもつ。メタファーは日常的に頻繁に用いられるものから、詩作などにおいて創造される新奇なものまで、様々なレベルにわたる。人間の類推能力の応用と考えられるが、認知言語学の一部の立場では、根本的な認知能力のひとつと見なされている。
メタファーという語はギリシャ語のmeta-(~を越えて) -phor(運ぶ)に由来している。
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[編集] メタファー観の歴史
メタファーは古今東西の文学作品に普遍的に存在しており、現存する最古の文学作品といわれるギルガメシュ叙事詩からも豊富に見いだすことができる。
初めてメタファーの意義に言及したと言われているのはアリストテレスであり、彼は『詩学』のなかで、「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」と述べている。
しかし、伝統的な言語学や論理学では、メタファーは周辺的な現象とされ、扱われることは少ない。近代の哲学者は、メタファーによって説得しようとする議論を非理性的なものとして否定することが多く、ホッブズやロックは、メタファーに頼った議論はばかげており、感情をあおるものに過ぎないとして批判している。文芸においてはメタファーは一貫して称揚されてきており、ロマン主義以来、理性を越えた想像力の発露であると見なされることが多い。
一方、近年ではジョージ・レイコフなど、メタファーは抽象概念の理解を支える根本的な概念操作であると主張する研究者もおり、メタファーを基礎に据えて概念理解の構造を解明しようとする研究が進められている。また政治においてメタファーがもたらす影響の研究も盛んになってきている。言語学者ロマン・ヤコブソンや精神分析学者ラカンのメタファー・メトニミーへの言及も重要。
[編集] 関連する概念
「~のようだ」「~みたいだ」のように比喩であることを明示したものは直喩と呼ばれる。また擬人法は、人間でないものを人間にたとえる比喩の一種であり、活喩とも呼ばれる。擬態法はそれを音で表現するものであり(「ワンワン」「ガシャン」など)声喩と呼ばれる。誇張表現はメタファーと重なる部分が大きい(例えば、「夕べは残業で死にそうだった」)。物語全体で他の何かを暗示するように構成されたものは寓喩と呼ばれる。
概念の近接性に基づいて意味を拡張した表現はメトニミーまたは換喩という。「漱石を読んだ」、「やかんが沸いた」のような表現がこれにあたる。また概念の上下関係に基づいて意味を拡張した表現はシネクドキまたは提喩という。例えば「花見」という語における「花」は普通、桜の花を指している。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- George Lakoff and Mark Johnson. Metaphors We Live By. University of Chicago Press, 1980. (渡部昇一・楠瀬淳三・下谷和幸訳『レトリックと人生』大修館書店, 1986年)