ミナガワマンナ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1978年5月15日 |
死没 | - |
父 | シンザン |
母 | ロングマンナ |
生産 | 谷川牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 寺内倉蔵 |
調教師 | 仲住芳雄(美浦) |
競走成績 | 25戦7勝 |
獲得賞金 | 2億3705万600円 |
ミナガワマンナは、日本の競走馬。菊花賞に勝ち、種牡馬としてのシンザンに初のクラシック勝利をもたらした。
デビュー前から期待され2戦目で初勝利、3戦目水仙賞も連勝した。春のクラシックは皐月賞は5番人気だったが12着に惨敗、4歳中距離ステークスを勝って挑んだ東京優駿(日本ダービー)では先行するものの4角で一杯になり8着に敗れた。
続くラジオたんぱ賞で2着になりオープン入り、秋は3戦して5着、10着、9着といいところがなく14番人気で菊花賞に挑戦することになった。この年の菊花賞は春の二冠馬カツトップエースが引退し、トライアル3冠馬のサンエイソロンが1番人気であった。菊花賞では前走で1.4秒も差をつけられたサンエイソロンを逆に4馬身ちぎる圧勝でシンザン産駒初のクラシック制覇を成し遂げた。
有馬記念ではアンバーシャダイの前に9着に敗れたが3走後のアルゼンチン共和国杯では2馬身半差で雪辱、その後は勝ち星に恵まれないもののG1戦線で好走し、1年後のアルゼンチン共和国杯ではアンバーシャダイ、ホリスキーらの猛烈な追い込みをハナ差凌ぎ連覇を果たしている。引退レースのジューンステークスも勝った。
引退後は父と同じ谷川牧場で種牡馬入りした。すでに種牡馬生活も引退しているが、アサヒジュピターなどのスピード馬も輩出している。
生涯成績
- 25戦7勝(2億3705万600円)
主な勝ち鞍
- 1981年菊花賞
- 1982年 アルゼンチン共和国杯
- 1983年 アルゼンチン共和国杯
- 1983年 ジェーンステークスほか
代表産駒
- アサヒジュピター(アルゼンチン共和国杯5着、サンシャインステークス)
- アサヒパシィオン(府中3歳ステークス)など
[編集] 血統表
ミナガワマンナの血統 (ボワルセル系(セントサイモン系)/トウルヌソル4×5=9.38%) | |||
父
シンザン 1961 鹿毛 |
*ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
ハヤノボリ 1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | |
飛竜 | |||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | ||
バツカナムビユーチー | |||
母
ロングマンナ 1970 黒鹿毛 |
*ヴィミー Vimy 1952 鹿毛 |
Wild Risk | Rialto |
Wild Violet | |||
Mimi | Black Devil | ||
Mignon | |||
アサヒマンナ 1960 鹿毛 |
*ソロナウェー Solonaway |
Solferino | |
Anyway | |||
ロングラン | クモハタ | ||
第四マンナ F-No.1 |
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