ミカエル6世ストラティオティコス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミカエル6世ストラティオティコス(?-1059年)は、東ローマ帝国の皇帝(在位1056年-1057年)。テオドラの養子。
1056年、先代の女帝・テオドラに嗣子がなかったため、その遺言によってテオドラの養子であり、元老院議員でもあったミカエル6世が皇帝として即位することとなったのである。
ところが、即位したミカエル6世は文治を優遇して軍事を軽視する文治政治を採用したため、帝国軍人の反感を買い、即位の翌年には反乱を起こされてしまった。皇帝軍も懸命に抗戦したが、イサキオス・コムネノス(のちの皇帝・イサキオス1世コムネノス)率いる反乱軍に敗北を喫し、イサキオスの軍勢がコンスタンティノポリスに迫るとミカエル6世はイサキオスに皇位を譲って退位し、1059年に病死した。
東ローマ帝国 | ||
---|---|---|
先代 |
次代 イサキオス1世コムネノス |