ミカエル5世
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ミカエル5世”カラファテス”(1015年 - 1042年8月24日)は、東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位1041年-1042年)。ミカエル4世の養子。
ミカエル4世の甥(従兄弟とも言われている)であったが、ミカエル4世に男児がいなかったため、養子として迎えられた。1041年、ミカエル4世が病死した後、宦官ヨハネス・オルファノトロフォス(ミカエル4世の弟)によって皇帝として擁立された。ヨハネスは、ミカエル5世を傀儡として操る腹づもりがあったらしい。しかし、ミカエル5世は自ら親政を行なうため、ヨハネスを逆に追放した。
さらに自身が親政を行なうためには邪魔な皇太后・ゾエをも追放しようと図ったが、マケドニア王朝の嫡子であるゾエは国民に尊敬されていたため、これに反発した首都の市民が逆に反乱を起こしてミカエル5世は捕縛、廃位されたうえ、盲目にされて追放されてしまったのである。
東ローマ帝国マケドニア王朝 | ||
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先代 |
次代 コンスタンティノス9世モノマコス |