ポーラ・ネグリ
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ポーラ・ネグリ(Pola Negri、1894年12月31日 - 1987年8月1日)は、サイレント映画時代に活躍したポーランド出身の女優である。本名Barbara Apollonia Chałupiec。妖艶なヴァンプ(悪女)役で大スターとなった。
バレエ・ダンサーになる訓練を受けていたが病気が元で挫折、演技の道に進む。第一次大戦の終わり頃までには、ワルシャワで人気舞台女優となっていた。
ポーランドで人気女優となった彼女はドイツのベルリンに移り、エルンスト・ルビッチの映画作品に出演。彼らの作品は世界中で成功し、1922年にはハリウッドに招かれることになった。1920年代には、彼女のエキゾチックでグラマラスな容姿は人気を博し、またチャールズ・チャップリンとの婚約やルドルフ・ヴァレンティノとのロマンスも話題になった。
特に1926年、ヴァレンティノが亡くなった後の彼女の振る舞いはメディアの注目となった。彼女はヴァレンティノと結婚する約束をしていたと明かし、彼の棺が列車でニューヨークからロサンゼルスまで運ばれるのについてゆき、列車が止まる度に写真家のためにポーズを取った。また、葬式では何度も失神、彼女の名前が綴られた大きなフラワー・アレンジメントをヴァレンティノの墓の上に置くように用意した。しかし多くのヴァレンティノの友人は、二人は結婚する予定などなかったと主張、彼女の振る舞いは単なる売名行為だと非難した。その頃から彼女のキャリアは下降しはじめる。彼女の強いポーランド訛りの英語は大衆に受け入れられず、当たり役であった悪女役は流行遅れとなっていった。
ネグリは1927年にグルジアの王子だと主張する軍人と結婚した。
1930年以降はヨーロッパに戻り、ドイツとイギリスにおいて数本の映画にしか出演していない。1939年、ヒトラーが台頭してきたドイツを去り、アメリカに戻った。ビリー・ワイルダーは「サンセット大通り」の主演を彼女に持ちかけたが、結局彼女のライバルであったグロリア・スワンソンがその役を得た。
1951年にはアメリカの市民権を得ている。1964年の"The Moon-Spinners"が最後の作品。1987年にテキサス州のサンアントニオでその生涯を閉じた。
[編集] 主な出演作品
- 呪の眼 (1918)
- カルメン (1918)
- 寵姫ズムルン (1920)
- 西班牙の踊り子 (1923)
- スエズの東 (1925)
- 帝国ホテル (1927)
カテゴリ: ポーランドの俳優 | サイレント映画の俳優 | 1894年生 | 1987年没