ホーカー400 (航空機)
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概要(T-400) | |
分類 | 多用途機 |
定員 | 乗員2、乗客4 |
寸法 | |
全長 | 14.8m |
全幅 | 13.3m |
全高 | 4.2m |
翼面積 | ? |
重量 | |
自重 | 4,650kg |
最大離陸重量 | 7,250kg |
機関 | |
エンジン | P&W JT15D-5F ×2 |
出力 | 1,315kg×2 |
性能 | |
最大速度 | M0.78 |
航続距離 | 3,000km |
ホーカー400(Hawker400)はアメリカ合衆国の航空機メーカー、レイセオン・エアクラフト・カンパニー社の双発エンジンの小型ビジネスジェット機。軍用機ラインではT-1A/T-400という別名で呼ばれ、アメリカ空軍や日本の航空自衛隊で練習機として採用されている。
目次 |
[編集] 概要
レイセオン傘下となっていた「ビーチ・エアクラフト社」が三菱MU-300「ダイヤモンド」の販売権(後に製造権も)を買収。名称はビーチクラフト・ビーチジェット400(BEECHJET400)と、ビーチクラフト自身のモデルとして製造され、1985年5月に連邦航空局(FAA)の形式証明を取得した。1994年のレイセオン・エアクラフト・カンパニー設立以降ホーカー400と名称を変えホーカー・ビジネスジェットのシリーズとして販売されている。
[編集] 買収の経緯
ビーチ・エアクラフト社は、航空不況や競争の激化によって膨大な赤字に苦しんだ挙句に、巨大防衛産業であるレイセオン社に買収され、経営の立て直しを図っている中であった。しかし、自社の商品はプロペラ機のみで、高速のジェット機需要が高まる中で出遅れていた。そのころ、日本の三菱重工業の米国法人である三菱アメリカ・インダストリー(MAI)は、MU-300「ダイヤモンド」ビジネスジェット機の販売に行き詰っており、米国航空機メーカーの販売網に乗せてもらうことを希望していた。ビーチにとっては、製品にジェット機が増えることは非常に望ましく、両者の利害は一致した。
だが、増幅する「双子の赤字」不況に喘いでいた当時のアメリカ政府は、対日収支の悪化と日本社会の急成長を槍玉に挙げ、不況の要因を日本製の自動車や家電製品、半導体に求め、国民に広がった対日感情悪化を利用し、日本を攻撃していた。三菱もすでに、アメリカの航空部品企業から購入できなくなったり、価格を異常に吊り上げられる被害にあっていた(アメリカで使用する航空機は、アメリカ製の部品が50パーセント以上を占めていなければならない規則がある)。
ビーチとしては、この状態で「三菱」を前面に出して販売することはほぼ不可能であると考え、提携後にMU-300を全てBEECHJET400(ビーチジェット400)の名で販売することした。また、販売済みのMU-2とMU-300のアフターサービスもビーチが引き受けることとして、MAIの業務をほとんど引き継いだ。MAIは段階的に業務をビーチへ移管、テキサス州サンアンジェロの自社工場も閉鎖し、1986年に米国営業から完全に撤退した。ビーチは日本から送られる機体に、独自の内装を施して販売し、また過去にMAIが販売したMU-300も全てビーチジェット400として統一した。
その後もビーチは三菱に機体の生産を発注していたが、円高によって日本から輸入する製品が高額となり、ビーチジェットの価格が下げられなくなった。このため、ビーチはMU-300の全ての生産・販売権を要求し、遂に利益があげられなかった三菱は、1988年2月に設計を含めた生産過程全てをビーチに売り渡す契約に合意、同年に日本国内での販売も終了した。
[編集] 発展
レイセオンは1990年に、セスナ・サイテーションTに対抗するストレッチタイプ(胴長)400Aを発表した。400Aは航続距離や搭載可能重量がいずれも向上し、操縦室も改善された。内装も変更されて、より高級な機体となった。アメリカ空軍はこれに目をつけ、ビーチジェット400Aを空軍の大型航空機(空中給油機や戦略輸送機)用練習機T-41(現T-1Aジェイホーク)として採用、1992年から1997年にかけて配備された。空軍の採用によって話題となり、1990年代には日本が不況に喘ぐ一方、アメリカの空前の好景気に支えられて売上を伸ばした。
レイセオンは1993年に、ブリティッシュ・エアロスペース(BAe、現BAEシステムズ)社からホーカー・ビジネスジェットの生産ラインを購入。ホーカーと「ビーチ・エアクラフト・コーポレーション(ビーチクラフト)」が統合されレイセオン・エアクラフト・カンパニーとなった時点で、ビーチジェット400はホーカーのラインに組み込まれ、「ホーカー400」(Hawker400)に改称された。最新型は「ホーカー400XP」である。
2000年までに400型が64機、400A型が303機を売り上げている。
[編集] T-1A/T-400
T-1Aはアメリカ空軍が採用した練習機で、400Aをベースに開発された。愛称はジェイホーク(英:T-1Aジェイホーク)、旧称はT-41である。装備品の一部が米軍の要求によって改修されたほかは、外見などにほとんど変化はない。
日本の航空自衛隊では、輸送機・救難機などの乗員を教育する次期多発機乗員訓練機(TC-X)として、細部を除いてほぼ同型の機体をT-400として採用、1994年(平成6)から13機を導入し、美保基地の第3輸送航空隊 第41教育飛行隊に配備している。
[編集] 派生型
- MU-300 - 初期生産型。海外では「DIAMOND I」。
- DIAMOND I A - 高温・高標高地域用にエンジンをJT15D-4に変更したもの。海外販売のみ。
- DIAMOND II - エンジンをJT15D-5に変更し、航続距離・最大速度を向上させたもの。海外販売のみ。
- BEECHJET400 - ビーチクラフト社での「DIAMOND II」の呼称。
- BEECHJET400A - 胴体を延長し搭載量を向上させたもの。
- Hawker400XP - 最新型。
- T-1A JAYHAWK - BEECHJET400A練習機タイプの米空軍での呼称。軍事訓練用に装備を改修してある。
- T-400 - BEECHJET400Aの航空自衛隊での呼称。多発大型機操縦士の訓練用。