ホイス・グレイシー
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ホイス・グレイシー(Royce Gracie、1966年12月12日-)は、ブラジルリオ・デ・ジャネイロ出身の総合格闘家。身長185cm体重80kg。エリオ・グレイシーの六男。三男であるヒクソン・グレイシーの弟にあたる。ヒクソンとグレーシー最強の看板を背負った。1990年代の総合格闘界の最も影響を与えた人物の一人。
ブラジリアン柔術の流派のひとつであるグレイシー柔術のテクニックを武器に、UFCの第1回、第3回、第4回大会で優勝。 「なんでもあり」という禁断の大会も衝撃を与えたが、格闘家としては細身である彼が大男達を次々に倒していく姿は世界の格闘技ファンに更に衝撃を与えた。 また、第1回大会での市原や第2回大会で日本格闘界での知名度抜群だったケン・シャムロックもホイスの前に惨敗を喫した事により、日本格闘界での認知度も一気に頂点まで達した。
晩年は年齢的衰えもあり、研究し尽くされ全盛期のパフォーマンスを発揮することは難しいが、初期アルティメット大会での活躍は、それまでのルールでかなり保護された格闘界に激震をあたえた。日本においてもU系などの格闘団体は「打倒・ホイス(グレーシー)」が当面の目標にならざるをえなくなった。(アルティメット大会のようななんでもありの大会自体には否定の意見を出したが、ホイス(グレーシー)の存在は最強を名乗る上で無視できなくなった黒船的存在であった。)これは一時期プロレス界にすら波及する。プロレス大会での柔術家との総合での試合、立ち技最強決定の場であるK-1での総合試合の導入、修斗によるバーリトゥード大会開催、そしてその流れはPRIDEにつながっていった。
PRIDEでは高田延彦(判定勝ち)、桜庭和志(TKO負け)、吉田秀彦(1回目一本負け、2回目引き分け)と対戦した。K-1PREMIUM 2004 Dynamite!では曙太郎と対戦。138kgの体格差をものともせず、関節技で鮮やかな一本勝ちを収めた。
また、2005年のDynamite!では、所英男と熱戦を繰り広げた(当初は秋山成勲と対戦する予定だったが、秋山のケガによる欠場で対戦相手が変更された)。
2006年5月、UFC60にてUFCウェルター級王者マット・ヒューズと対戦。 約11年ぶりの古巣復帰に大きな期待が寄せられたが、得意とする寝技においてもヒューズに圧倒され、1R4分39秒バックマウントからのパンチ連打の末、TKOで敗れる。
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