ベン・ハー
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『ベン・ハー』(Ben-Hur, 副題『キリストの物語』)は、
- アメリカのルー・ウォーレスが、1880年に発表した小説。
- 1.を原作とした映画。
- 小説が発表されて以降、何度となく舞台で上演され、4度に渡って映画化されている。その中でもチャールトン・ヘストン主演の1959年の作品がもっとも有名で、映画の金字塔として高く評価されている。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
目次 |
[編集] ストーリー
ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。
紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。彼の名前はメッサーラ。メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のユダ・ベン・ハーとの再会を喜び合う。ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら二人は強い友情で結ばれていた。
しかし、二人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。そのことが二人の友情に亀裂を生むことになる。その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。
罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。戦車競争の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。
やがてエルサレムでの戦車競争で、不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。激闘の末、ライヴァルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。
[編集] キャラクター
- ジュダ=ベン・ハー
- クインタス・アリウス
- 族長イルデリム
- メッサラ
- エスター
- ミリアム
- ティルザ
- サイモニデス
- バルサザー
- ポンシャス・パイラト
- ドルーサス
- セクスタス
- フレビア
[編集] 小説
1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。小説はフィクションであるが、イエス・キリストはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。人気小説『ベン・ハー』はすぐに舞台化され、好評を博したため、何度も上演された。やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。
戦車競走のシーンはあきらかに、ソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中の、オレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。
[編集] 映画(1907年)
1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画であった。短編ながら以降の『ベン・ハー』と同じく、戦車競争を中心にしていることで興味深い。監督はカナダ人のシドニー・オルコットであった。制作会社は映画化料をめぐって原作者のウォーレスの遺族から訴えられている。このような事態は以後、小説の映画化において何度となく繰り返されることになる。
[編集] 映画(1925年)
二度目の映画化は1925年、ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じた無声映画である。これが大ヒットとなった。無声映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。戦車競争の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。この戦車競争の場面こそが、1959年版『ベン・ハー』の戦車競争シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ、エピソード1』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。MGMによって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルという無声映画史上第三位の興行収入を稼ぎ出している。あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。
[編集] 映画(1959年)
知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得し得るに至った作品は、1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』である。またベン・ハーを演じたチャールトン・ヘストン、メッサーラを演じたスティーヴン・ボイドたちの名声を一気に高めた作品ともなった。もともとベン・ハー役はポール・ニューマン、バート・ランカスター、ロック・ハドソンなどにオファーされたが、諸事情からチャールトン・ヘストンに役が回ってきたのだった。
1959年11月18日にプレミア公開され、212分の大作ながら全米公開後、瞬く間に歴史的大ヒットとなった。同様に全世界でも公開されてヒットした。54億円もの制作費が投入されたが、この映画一本で倒産寸前だったMGMを一気に立て直すことができた。
見所は何と言ってもクライマックスの戦車競争のシーンであり、映画史に残る一大スペクタクルであるといっても過言ではない。無数のエキストラ、実物大に組まれた競技場のセット、スタントマンに死者が出たと噂された撮影時のエピソードなどまさにアクションシーンの金字塔という言葉がふさわしい。『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面はこの戦車競争シーンへのオマージュともいえるが、最新の特殊効果を用いても半世紀前の作品には迫力ではるかに及ばない。
映画はアカデミー11部門を受賞。この大記録は『タイタニック』(1997年)、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)がタイ記録を樹立するがまだ破られていない。当時は現在より部門数が少なかったし、あとの2作は俳優が受賞していない事を考慮すると、こちらの方が上といってよいだろう。
[編集] キャスト
- チャールトン・ヘストン - ジュダ=ベン・ハー
- ジャック・ホーキンス - クインタス・アリウス
- ヒュー・グリフィス - 族長イルデリム
- スティーヴン・ボイド - メッサラ
- ハイヤ・ハラリート - エスター
- マーサ・スコット - ミリアム
- キャシー・オドネル - ティルザ
- サム・ジャッフェ - サイモニデス
- フィンレイ・カリー - バルサザー
- フランク・スリング - ポンシャス・パイラト
- テレンス・ロングドン - ドルーサス
- アンドレ・モレル - セクスタス
- マリナ・ベルティ - フレビア
- ジュリアーノ・ジェンマ
[編集] スタッフ
- 監督: ウィリアム・ワイラー
- 製作: サム・ジンバリスト
- 原作: ルー・ウォーレス
- 脚本: カール・タンバーグ
- 撮影: ロバート・L・サーティース
- 音楽: ミクロス・ローザ
- 助監督: セルジオ・レオーネ
[編集] 受賞
- 米アカデミー賞
- 作品賞
- 監督賞 ウィリアム・ワイラー
- 主演男優賞 チャールトン・ヘストン
- 助演男優賞 ヒュー・グリフィス
- 美術賞 ウィリアム・A・ホーニング エドワード・C・カーファグノ
- 撮影賞 ロバート・L・サーティース
- 衣装デザイン賞 エリザベス・ハフェンデン
- 編集賞 ラルフ・E・ウィンタース
- 劇映画音楽賞 ミクロス・ローザ
- 音響賞 フランクリン・E・ミルトン
- 特殊効果賞 A・アーノルド・ギレスビー
1941: わが谷は緑なりき | 1942: ミニヴァー夫人 | 1943: カサブランカ | 1944: 我が道を往く | 1945: 失われた週末 | |
[編集] 映画(2003年)
2003年度版の『ベン・ハー』はチャールトン・ヘストンのプロダクションであるアガメムノン・フィルムズが2003年にビデオ用に製作した80分のアニメ映画である。ベン・ハー役の声をチャールトン・ヘストン自身が演じている。
[編集] 詰将棋
将棋棋士である内藤國雄がこの映画をモチーフとした111手詰めの詰将棋を作成している。
この作品の作成には、構想は2週間ですんだものの完成までに40年を要しており、その手順の過程において玉が勇壮に駆け回る戦車のごとく盤上を走りまわす様子が描かれている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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