ブラゴヴェシチェンスク
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ブラゴヴェシチェンスク(ロシア語:Благовещенскヴラガヴィェーシェンスク;ラテン文字転写の例:Blagoveshchensk、Blagoveshshensk)はロシア連邦の都市。シベリア南部のアムール州の州都。中国との国境近くに位置し、中国語では海蘭泡(Hailanpao)と呼ばれる。人口は211,200人(2004年)。モスクワから東に7,985km。
シベリア鉄道の線路から110km。中国との国境線を形成するアムール川の左岸に位置する。もと、アムール川の北部は清に属していたが、1858年のアイグン条約(璦琿条約)、1860年の北京条約によってロシア領となった。
1856年にロシアの要塞都市として建設された。20世紀初めに金が発見されたことで急速に成長した。
義和団事変に際し、1900年7月に義和団がブラゴヴェシチェンスクに2週間にわたり立てこもった。ロシア軍は市内のすべての中国人をアムール川対岸に追いやる決定を下し、その際に約3,000人が虐殺されたと言われる。(江東六十四屯を参照)
現在、ブラゴヴェシチェンスクと対岸の中国の町、黒河は自由経済地域とされ、国境交易が盛んに行なわれている。