ハンフリー・デービー
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サー・ハンフリー・デービー(Sir Humphry Davy、1778年12月17日 - 1829年5月29日)は、イギリスの化学者。コーンウォールに生まれる。
もともとは薬局の使用人であったが、薬局に備え付けの本で独学で化学を学ぶ。1798年、ベドーズ気体研究所に招かれる。ここで笑気ガスの研究を行い、有名になる。また、彼の最大の功績はファラデーを見出したことであると言われている。
1801年、王立研究所助教授兼実験主任。1802年、王立研究所教授。王立研究所研究員として、科学を知らない一般人向け(貴族向け)に多くの公開実験を行い、科学の普及に貢献した。1801年、王立協会会員。
1806年、「結合の電気化学的仮説」を発表。
1807年に、ボルタ電池を用いてさまざまな物質の電気分解を行い、カリウム、ナトリウムを発見、翌1808年、カルシウム、ストロンチウム、バリウム、マグネシウムを発見した。6つの元素を発見した化学者は、デービーただ一人である。また、塩素の命名を行った。
1820年、王立協会会長。健康上の理由により1826年にこの職を退いた。
鉱夫用のデービー灯(安全灯)をつくった。
1829年、スイスのジュネーブで実験中のフッ素漏れのために死去。
デービーの研究は、マイケル・ファラデーによって引き継がれた。
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