ニューアムステルダム
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ニューアムステルダム (New Amsterdam, オランダ語Nieuw Amsterdam)は、オランダ植民地時代のニューヨークの名称。
1609年アジアに通じる北西航路を発見するためオランダ東インド会社に雇われた英人ヘンリー・ハドソンが発見した。当時アメリカ大陸の全容は未知で、アジアに通じる北西航路があると信じられていたため、東インド会社が探検隊を送ったものである。ヘンリー・ハドソンはハドソン川を遡って流域一帯をオランダ領ニューネデルラントと宣言した。ハドソン川の名称はヘンリー・ハドソンにちなむものである。その後、オランダ西インド会社の管轄に移され、ビーバーなどの毛皮が取れるハドソン川流域の植民が行われた。
ニューヨークはオランダ人が25ドルでインディアンから買ったという話は単なる伝説のようだが、1626年頃ハドソン川下流のマンハタン島南端にオランダの植民拠点が建設され、ニューアムステルダムと命名された。ニューネーデルラント植民地の主邑となったニューアムステルダムは1653年に正式に市の資格を与えられている。
1664年英軍が侵攻してきたためオランダ総督ストイベサントは無抵抗で降伏した。第二次英蘭戦争(1665年~1667年)を終結させたブレダの和約でニューアムステルダムを含むニューネーデルラントはイングランドに割譲され、チャールズ2世はこれを弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたので、ニューアムステルダムはニューヨークと改称された。これがニューヨークの起源である。その後第三次英蘭戦争(1672年~1674年)中の1673年オランダが一時奪回したが、1674年のウェストミンスター和約でイギリスに返還された。
ニューアムステルダムとは、南米ガイアナの第二の都市。市内にバービス川が貫流する。
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