ナリタタイシン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1990年6月10日 |
死没 | - |
父 | リヴリア |
母 | タイシンリリイ |
生産 | 川上悦夫 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 山路秀則 |
調教師 | 大久保正陽(栗東) |
競走成績 | 15戦4勝 |
獲得賞金 | 3億9740万8000円 |
ナリタタイシンは日本の競走馬。ウイニングチケットやビワハヤヒデを破り皐月賞を制した。他に目黒記念、天皇賞(春)2着など。半姉にユーセイフェアリーがいる。
[編集] 戦績
2歳の夏秋は特に目立つという馬ではなかったが、冬にラジオたんぱ杯3歳ステークスを制覇。一躍クラシック候補に躍り出る。
3歳になり重賞に出走するもののシンザン記念ではアンバーライオン、弥生賞ではウイニングチケットの2着に敗れる。迎えたクラシック第一弾の皐月賞ではウイニングチケット、ビワハヤヒデの一騎打ちとの見方が強まっている中で3番人気に推され、大外一気の末脚を繰り出し、ビワハヤヒデを首差退けて見事に優勝。この時から3強の一角として認められるようになる。東京優駿(日本ダービー)ではウイニングチケット、ビワハヤヒデに続く3番人気となり順位も3着に終わる。その後クラシック路線を歩んでいた各馬が休養する中、高松宮杯(当時GII、通常の年は中京だがこの年1993年は京都、芝2000メートル)に出走、いつもどおり後方からの競馬となったが、逃げるロンシャンボーイを捕らえきれず2着となる。その後、肺出血の為、予定していた京都新聞杯の出走を取りやめ、ぶっつけで挑んだ菊花賞では17着と大敗し、その年のシーズンを終える。
年が明けて初戦の目黒記念では大外からの差しで皐月賞以来の勝利。迎えた春の天皇賞ではビワハヤヒデの2着。しかし、着順こそ2着ではあるものの、力の差は歴然であった。その後、宝塚記念直前に軽症ではあったが骨折、京都大賞典直前に下痢、秋の天皇賞直前に屈腱炎を発症し、引退すると思われたが、1年もの休養をはさんで宝塚記念に出走。しかし長期休養明けが響いたためか16着の大敗。続く高松宮杯に向けた調整の際に屈腱炎を再発したため引退し、種牡馬となる。
しかし産駒がことごとく走らず、中央競馬で2勝するのがやっとという有様であったため、2003年に種牡馬を引退した。
[編集] 競走成績
1992(6戦2勝)
- ラジオたんぱ杯3歳ステークス
1993(6戦1勝)
- 皐月賞、2着 - 高松宮杯、弥生賞、シンザン記念、3着 - 東京優駿(日本ダービー)
1994(2戦1勝)
- 目黒記念、2着 - 天皇賞(春)
1995(1戦0勝)
ナリタタイシンの血統 (ネヴァーベンド系/Alibhai5×5=6.25% Roman5×5=6.25%) | |||
父
*リヴリア Rivlia 1982 鹿毛 |
Riverman 1960 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
River Lady | Prince John | ||
Nile Lily | |||
Dahlia 1970 栗毛 |
Vaguely Noble | *ヴィエナ | |
Noble Lassie | |||
Charming Alibi | Honeys Alibi | ||
Adorada | |||
母
タイシンリリイ 1981 芦毛 |
*ラディガ Ladiga 1969 鹿毛 |
Graustark | Ribot |
Flower Bowl | |||
Celia | Swaps | ||
Pocahontas | |||
インターラーケン 1966 芦毛 |
*サミーデイヴィス Sammy Davis |
Whistler | |
Samaria | |||
*シルヴァーファー Silver Fir |
Abernant | ||
Moyo F-No.1-w |
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