チェーティル・アンドレ・オーモット
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男子 アルペンスキー | ||
金 | 1992 | スーパー大回転 |
金 | 2002 | スーパー大回転 |
金 | 2002 | 複合 |
金 | 2006 | スーパー大回転 |
銀 | 1994 | 滑降 |
銀 | 1994 | 複合 |
銅 | 1992 | 大回転 |
銅 | 1994 | スーパー大回転 |
チェーティル・アンドレ・オーモット(Kjetil André Aamodt, 1971年9月2日 - )は、ノルウェー・オスロ出身のアルペンスキー選手。日本では「ケトル(ケティル)・アンドレ・オモット」と紹介されることもある。
1990年世界ジュニア選手権で、滑降、スーパー大回転、複合の3冠を獲得し、同年ワールドカップデビュー。1991年、オーストリア・ザールバッハ世界選手権で、スーパー大回転2位で注目を浴びた。しかし、その後病気で低迷。アルベールビルオリンピックの3ヶ月前まで入院し、11kg体重が落ちた。しかし、2ヵ月後にトレーニングに戻り、その6週間後にアルベールビルオリンピックのスーパー大回転で優勝。ノルウェーに40年ぶりのアルペンスキーのオリンピックメダルをもたらした。また、大回転でも銅メダルを獲得した。
1993年の世界選手権盛岡雫石大会では、大回転と回転で優勝、複合で2位となり、この世界選手権でもっとも活躍した選手として記憶されている。
1994年のリレハンメルオリンピックでは、滑降と複合で銀、スーパー大回転で銅メダルと、3つのメダルを獲得した。
1996年、スペイン・シェラネバダ世界選手権では、スーパー大回転で銅メダルを獲得。
1997年、イタリア・セストリエール世界選手権では、複合で金メダルを獲得した。
1998年、長野オリンピックでは、スーパー大回転での5位が最高と低迷した。
1999年、アメリカ・ヴェイル世界選手権では複合で金メダル、滑降で銅メダルを獲得した。
2001年、オーストリア・サンアントン世界選手権では複合で金メダルを獲得。大回転でも銀メダルを獲得した。
2002年のソルトレークシティオリンピックではスーパー大回転と複合で金メダルを獲得。オリンピックで通算7個のメダルは、現在のところアルペンスキーヤーでは最高の数字だ。
2003年、スイス・サンモリッツ世界選手権では、滑降で銀メダル、複合で銅メダルを獲得。これで、オリンピックと世界選手権あわせて、獲得メダル数は19個。
アルペンスキー界では、Mr.メダリスト、Mr.オーモットと呼ばれ、全選手から尊敬される存在となっている。
[編集] ミスター・メダリスト
オリンピックで獲得したメダル7個、世界選手権で獲得したメダル12個、それをあわせた数19個は、いずれもアルペンスキー界ではトップである。また、オーモットは、アルペン5種目(回転、大回転、スーパーG、滑降、複合)のすべての種目でメダルを獲得している。ただし、これだけメダルを獲得しているにもかかわらず、唯一獲得できていないメダルがある。それが滑降での金メダルだ。
2003年、スイス・サンモリッツ世界選手権。その滑降競技で、コース終盤までトップのタイムを刻んでおきながら、大きなミスを犯して銀メダル止まり、わずかの差で前人未踏の記録を逃してしまった。そのときの共同記者会見で、オーモットは残念そうに、こう感想を述べた。「金メダルは買うことにした」と。そして、隣に座っていた金メダルの選手に、「そこで話があるんだが、いくらで譲ってくれるんだい?」と言ったジョークは有名。
2005年現在、オーモットは現役として選手を続けている。力は衰えは隠せないものの、また勝つ力がなくなったわけではない。トリノオリンピックで、残された最後の獲物である滑降のメダルを獲得することは出来なかったが、スーパー大回転で金メダルを獲得。健在振りを世界に知らしめた。
獲得した19個のメダルは、2003年、ノルウェーのオスロにある自宅の金庫から盗まれる被害に遭い、実際に手元に所持しているのは0個となっている(トリノで金を1つ獲得したので、現在は1個)。