ジャン・バラケ
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ジャン=アンリ=アルフォンス・バラケ(Jean-Henri-Alphonse Barraqué , 1928年1月17日 - 1973年8月17日)は、フランスの作曲家。
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」とドビュッシーの「海」を至高の作品と崇め、戦後に入ってから創作活動を始める。極めて高度のセリー技法を扱う作曲家であり、レヴェルの維持のために残された作品数は僅か7作品だけであった。初期の「セカンス」と「ピアノソナタ」ではブーレーズと極めて近い立場にあったことが伺える。
ブーレーズはトータル・セリエリスムへの忠誠を誓ったが、バラケはこの不自由極まりない技法とは袂を別ち、「増幅するセリー」を用いる一種の「セリー様式」(グリフィス)と呼ばれる作風へ迫ってゆく。後期の「協奏曲」では三和音の不自然な挿入によりセリー技法のテンションが引き立つ可能性を探っていたが、前衛の時代では彼の態度はほとんど孤立無援に近く、楽壇から遠のく結果となってしまった。
1964年には交通事故に遭った上に自宅が火事で焼失。その後は病気に悩まされた末に1973年、45歳で死去。楽譜は死後25年以上を経てからベーレンライター社から再出版されたが、これは初版のリプリントであり校訂作業はほとんどなされていない。「ピアノソナタ」の日本初演は2003年に鈴木貴彦によってなされた。
[編集] 作品
- 1950-52 Sonate pour piano
- 1954 Etude
- 1955-56 Séquence
- 1959 ...au delà du hasard
- 1966 Chant après chant
- 1962-68 Concerto pour six formations instrumentales et deux instruments
- 1968 Le Temps restitué
[編集] 著書
- 『ドビュッシー』(平島正郎訳/音楽之友社/1969)