ジャック・チェスブロ
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ジャック・チェスブロ(Jack Chesbro,1874年6月5日-1931年)はアメリカ合衆国、マサチューセッツ州出身のメジャーリーガー。右投げ右打ち。ポジションは投手。
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[編集] メジャー歴
パイレーツ(1899年~1902年)-ハイランダース(ヤンキース)(1903年~1909年)-ピルグリムス(レッドソックス)(1909年) 11年
[編集] 経歴
[編集] パイレーツ時代
1899年にメジャーデビュー。その年は6勝9敗に終わるも、もともと良かった速球とカーブ、そして当時は合法だったスピットボール(変化球参照)を覚えた事で飛躍し、翌年15勝。その後、1901年21勝、1902年28勝でパイレーツの2年連続優勝に大きく貢献。
[編集] ハイランダース時代
1903年 ハイランダース(後のニューヨーク・ヤンキース)発足と同時に移籍。1年目から21勝15敗、防御率2.77でエースとして活躍。
1904年は、4月に先頭打者のヒット後、打者27人全てを打ち取る準完全試合を達成。その後も30試合連続を含めた先発51試合中48試合で完投、ア・リーグ記録(当時)の14連勝など勢いは止まるところを知らず、10月7日にピルグリムスに勝ってシーズン最多記録(20世紀以降)となる41勝をマークしチームも首位に躍り出た。しかしピルグリムスに抜きかえされ、1.5ゲーム差で迎えた公式戦最終試合のダブルヘッダー第1試合。先発したチェスブロは相手投手と互角の投げ合いを演じるも、9回裏二死三塁でスピットボールが高めに抜け、捕手の頭を超える暴投になりサヨナラ負け。ハイランダースの優勝も幻に終わった。
その後、チェスブロはこの年の登板過多のためか、思うように勝ち星が延びず1909年9試合で0勝4敗という成績にハイランダースはウェーバーで放出した。
[編集] ピルグリムス時代
9月11日になって入団するも登板は1試合のみ、6回で7安打4失点で負け投手となり、これがチェスブロのメジャー最後の登板になった。
[編集] 逸話
- 1904年以降、17年後の1921年までヤンキース(ハイランダース)は優勝できなかったため、『酷使したチェスブロの呪いだ』ということでチェスブロの愛称からハッピー・ジャックの呪いと呼ばれた。
- 1905年8月30日、後の球聖,タイ・カッブにメジャー初安打となる二塁打を打たれた投手がチェスブロである。
[編集] メジャー記録
- シーズン最多勝利数 41 (1904年)
- シーズン最多先発 51 (1904年)
- シーズン最多完投 48 (1904年)
(記録はいずれも1901年以降で)