サムイル・フェインベルク
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サムイル・フェインベルク(本名はサムイル・イェヴギェニエーヴィチ・フェインベルク、Самуил Евгеньевич Фейнберг、Samuil Jewgenjewitsch Feinberg)はロシアのピアニスト、作曲家。1890年5月26日生-1962年10月22日没。近年最も再評価の進むロシアの作曲家[要出典]である。
目次 |
[編集] ピアニストとしての略歴
ウクライナに生まれたが、四歳でモスクワに渡る。モスクワ音楽院で、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事。アナトリー・アレクサンドロフと共にロシア楽派の中核を担うピアニズムを展開したことで知られている。
1930年代から自作の録音もあるが、名声を決定的にしたのは1950年代に吹き込んだバッハの平均律クラヴィーア曲集の全曲であった。モスクワ音楽院ではこの曲集は一種の聖典とみなされており、全曲をマスターした同期のピアニストが多い中、この音源が残ったことは貴重である。
本人もバッハには深く帰依していたらしく、オルガン作品のすばらしい編曲が残されてもいる。特に「トリオソナタからラルゴ」はフェインベルクの最もすばらしい編曲の一ページと讃えられることも多い。
[編集] 演奏スタイル
たいてい20世紀前半に活躍したピアニストは戦後に活躍をやめてしまうか、演奏が衰えて使い物にならなくなったケースが多い中、フェインベルクはヴィルヘルム・バックハウスと同様に亡くなるまで演奏と録音活動が可能になった稀有な例である。両者共に晩年の演奏にも味わいがある点で共通する。
フェインベルクは全てのロシア楽派同様に非常に鋭いタッチを持っていたと思われるが、決定的な違いはペダリングの清潔さと変幻自在なアゴーギクである。自作のピアノ協奏曲第二番の演奏においても、ほとんどの瞬間で長いペダリングは用いられないばかりかノンペダルの瞬間も多い。
また基本テンポが大変速かったと見られ、多くの戦前世代同様「フレーズの終止あたりで指が転ぶ」ことも見られる。自作自演においても、決して全ての箇所を十全に弾ききっている訳ではなく技術的限界も感じられるが、逆に軽妙酒脱な語り口で作品を再構成する辺りに、コンポーザー=ピアニストとしてのロシア楽派の継承を強く想起させる。フェインベルクは全生涯にわたって新しいリズム技法を追求していたが、それが演奏にも向けられテンポ情報が自由に改変される(時に原価の倍近くまで拡大される場合がある)辺りは趣味が分かれよう。後の旧ソ連の国家統制で鍛えられたリヒテルやギレリス以降のピアニストからは、このような自由が失われ楽譜を忠実に守る厳しさのみしか伝わらなくなる。
[編集] 作曲家としての略歴
[編集] 初期
当初は新古典主義と後期ロマン派を結合させ、スタンチンスキーやスクリャービンの影響の濃い音楽からスタートしたが、やがて作風の進化と共に無調性に傾斜。ピアノソナタ第六番はアルバン・ベルクのソナタの反行形から作品が始まるあたりに、新ウィーン楽派への挑戦や親近感が漲っている。しかしながら、結果的にはいずれかの調性で終止するので、厳密な無調性とはみなせない。
[編集] 中期
この傾向がピアノソナタ第八番まで続いた後、フェインベルクの生涯を一変させる出来事が起きた。ヨシフ・スターリンの政権奪取と共に、彼はロシアを代表する音楽家になるためアレクサンドロフやミャスコフスキーと共にスターリン側につくことを選んだ。本意なのかどうかは未だにわかっていない。(このため、ソ連崩壊後に旧共産党系列の作曲家が全て悪玉扱いされてしまい、ロシア国内以外では楽譜の入手が極めて困難になってしまう。)彼のピアノ演奏技術はスターリンのお気に入りだったらしく、当然スターリン賞の受賞も多い。作品24がその転向を物語る最初の作品であり、作品25の「組曲第二番」の第三曲にて白鍵のみの音楽を書いている。
ピアノソナタ第九番以降は全音階主義が顕著となり、無調性を転調進行で代替する傾向も見られている。
[編集] 後期
当局からの庇護を受けながらすごした晩年でさえも、作風はさらに進化していた。「ピアノ協奏曲第二番」では19世紀はおろか18世紀以前にまで語法をさかのぼり、中期プロコフィエフを凌駕するほどの転調進行の頻用と乾いた楽器法に鉱脈を求めていた。転調進行や独創的な和音進行が余りにも多いために、調性感が掴み難いままに進行する第一楽章のピアノパートでは、初期で追及された極限の名人芸は遠のき、なにかしらの諦観が見え隠れする。歌うような順次進行をためらいなく使うかと思うと、妙に器楽的なジグザグ音形を挿入する語り口が後期作品全体の特徴である。
ヴァイオリン・ソナタ第二番は初期から得意にしていたジグザク音形が見られるほかは極普通の調性音楽であり、晩年のショスタコーヴィチのような諧謔的な趣味も散見される。ピアノソナタ第十一、第十二番では露骨にバッハを引用するなど、自叙伝的な性格も加味されていった。両手でのシンプルなユニゾン進行も、大変効果的に使われている。
[編集] 再評価
フェインベルクが大変に優れたピアニストであったことも災いして、超絶技巧を要するピアノ曲は長らく放置されてきたが、ニコラオス・サマルタノス、クリストフ・シロドー、原田英代などのピアニストがピアノソナタを録音している。かつての旧ソ連ではフェインベルク門下生のヴィクトル・ブーニン、ウラディミール・ブーニン他がピアノソナタを良く取り上げていたが、それらの録音は国外には公式に出回っていない。体制に尽くしたことが評価され、全三巻のフェインベルク全集が即座に編纂されたが、当然これらの楽譜は1990年代まで国外に出ることはなかった。ピアニストとして楽壇へデビューしたフェインベルクの作曲作品はゴドフスキーと同様にピアニストの余技とみなされたために、全作品リストなどの編纂が遅れており、楽譜の大半は再版されていない(スウェーデンで全集を出す計画も頓挫)。未だに入手不可能な楽譜も多いフェインベルクの全貌は明らかになっていない部分も多く、更なる研究が望まれている。