サミュエル・ピープス
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サミュエル・ピープス(Samuel Pepys 1633年2月23日 - 1703年5月26日)は17世紀のイギリス人。王政復古の時流に乗り、一平民から海軍大臣にまで出世した人物。王立協会の会長も務めた。今日、その名を残すのは、1660-1669年にかけて記した詳細な日記のおかげである。
[編集] 経歴
ロンドンの仕立屋の子として生まれた。ケンブリッジ大学を卒業後、親戚のエドワード・モンタギュや大蔵省の役人に雇われた。フランスから亡命したプロテスタントの娘と結婚。
1660年の王政復古でチャールズ2世が王位に就いた。チャールズを出迎えた海軍司令官のエドワード・モンタギュは功によってサンドイッチ伯爵となり、ピープスも海軍省書記官の職にありついた。
- エドワードの末裔にサンドイッチの語源で知られる人物がいる。
海軍省での仕事には余得も多く、熱心に働いて蓄財に励んだ。また様々なことに好奇心旺盛で、王立協会初期の会員になった。 1669年、休暇を取って妻とフランス・オランダを旅するが、帰国まもなく妻はチフスで急逝。1684-1686年には王立協会会長。1685年海軍大臣に就任した。1688年、名誉革命でジェームズ2世が亡命すると、ピープスも公職を引退した。1703年に逝去。
[編集] 日記
1660-1669年に書いた日記が遺されている。王政復古の世相を描いた史料的価値があり、1665年のペスト流行や1666年のロンドン大火についても記述している。また、自己の女性関係(浮気)などを赤裸々に(と言っても都合の悪い部分は外国語や暗号を用いて)記述した「奇書」である。眼を痛めたため、1669年で日記の執筆はやめてしまった。
[編集] 参考書
- ピープス氏の秘められた日記(臼田昭、1982年、岩波新書)ISBN 400420206X
- サミュエル・ピ-プスの日記(臼田昭他訳、1987-2003年 国文社)臼田は翻訳途中の1990年逝去。2006年現在、第9巻(1668年)まで刊行