ゴドフロワ・ド・ブイヨン
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ゴドフロワ・ド・ブイヨン(Godefroy de Bouillon、1060年頃 - 1100年7月18日)は、第1回十字軍の指導者の1人で、エルサレムの初代聖墓守護者となる。ロートリンゲン公。
ゴドフロワはブローニュ伯ユースタシュ2世の長子として生まれたが、伯父のロートリンゲン公ゴドフロワ4世(ハンチバック)の跡継ぎとされた。1076年にゴドフロワ4世は亡くなったが、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、当初ゴドフロワ・ド・ブイヨンの相続を認めず、1082年になりようやく承認されている。
1096年に第1回十字軍の勧誘に応じ、弟のブローニュ伯ユースタシュ、ボードゥアン・ド・ブローニュと共に参加した。
アンティオキア攻略後にボエモンが現地に残留した後は、トゥールーズ伯レーモンと共に1099年にエルサレムの攻略に成功する。レーモンがトリポリを得ることを望んだため、ゴドフロワが王に選出されたが、キリストが命を落とした場所の王と呼ばれることを嫌い、聖墓守護者を名乗った。
同年、エルサレム奪回にやってきたエジプトのファーティマ朝軍をアスカロンで破ったが、レーモンとの仲たがいのためアスカロンを奪取することはできなかった。また、エルサレム総大司教となったダゴベルトは、エルサレムを教皇領とすることを望んでおり対立した。結局、ゴドフロワがエジプトを奪って王国を作った後にエルサレムを教皇領とすることで話はついたが、エジプト侵攻を計画中の1100年12月に亡くなった。弟でエデッサ伯になっていたボードゥアンが跡を継ぎ、エルサレム王を名乗った。
ゴドフロワは死後、英雄化され、十字軍の最高指導者、最も優れた戦士として吟遊詩人の物語にされ、ワグナーの歌劇ローエングリンで知られる白鳥の騎士の子孫とされたりしたが、実像は十字軍の指導者の1人に過ぎず、ボエモン、トゥールーズ伯レーモン、教皇使節アデマールが中心人物だったといって良い。