ゲオルギー・リヴォフ
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ゲオルギー・エフゲニーエヴィッチ・リヴォフ公爵(Георгий Евгеньевич Львов、Georgii Evgenevich Ľvov、 1861年11月2日 - 1925年3月7日)は帝政ロシアの政治家。 ロシア革命(二月革命)によりニコライ2世の退位後成立した臨時政府初代首相(在任期間:1917年3月23日から7月21日)。「リヴォフ」の表記に関しては、 L'vov が一般的であるが、他に Lvov 、Lvoffなどと表記される場合もある。また、日本では、リボフ公またはリヴォフ公の表記が多い。
[編集] 革命以前
1861年11月2日ドレスデンで生まれる。リヴォフ公爵家は、リューリク朝の流れを組む名門貴族である。生まれてすぐにドイツから戻り、トゥーラ近郊のアレークシン地区ポポフカ村に移る。モスクワ大学卒業後、1893年まで政府に勤務する。日露戦争時、極東で援護事業を展開した。1905年カデット(立憲民主党)に参加する。1906年第一国会(ドゥーマ)に立候補し当選した。1914年ゼムストヴォ全ロシア連合議長に選出される。
[編集] 二月革命
1917年ロシア革命(二月革命)が起こると、リヴォフ公は、臨時政府の初代首相兼内相に就任した。リヴォフ公を首班とする臨時政府は、戦争継続を決定し、増大する混乱の中で辞職し、アレクサンドル・ケレンスキーが跡を襲った。ソビエト政権成立後逮捕されるが、パリに亡命した。