クイントン・ジャクソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | クイントン・ジャクソン |
あだ名 | ランペイジ 狂犬 |
階級 | ミドル級(PRIDE) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1978年6月20日 |
出身地 | アメリカ合衆国、テネシー州、メンフィス |
命日 | |
死地 | |
スタイル | レスリング |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | 30(2006年2月27日現在) |
勝ち | 24 |
KO勝ち | 11 |
一本勝ち | 7 |
敗け | 6 |
引き分け | |
無効試合 |
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン(Quinton Rampage Jackson、1978年6月20日 - )はアメリカ合衆国テネシー州出身の総合格闘家。身長185cm。体重92.8kg。総合格闘技戦績29戦23勝6敗。PRIDEGP2003準優勝。
PRIDEミドル級のトップファイター。”ランペイジ”のニックネームの通りのファイトスタイルはまさに凶暴そのもの。圧倒的なパワーで相手を完膚なきまでに叩き潰す。スタンドでのボクシングテクニックやグラウンドでの攻防も一流だが、中でも必殺技の“パワーボム”は超強烈で、総合格闘技で投げ技が通用するということを証明してみせた。 ヘビー級の体格のイゴール・ボブチャンチンや佐竹雅昭をも軽々と持ち上げ、マットに叩きつける。すさまじい怪力を誇る。
[編集] 来歴
PRIDEミドル級の並居る強豪を次々と撃破し、『PRIDEGP2003』では決勝まで上りつめ、因縁のヴァンダレイ・シウバ戦を実現させる。序盤は有利に試合を運んだが、最後はシウバの膝の連打の前に敗北。準優勝に終わる。 2004年6月には柔術世界一の実力者ヒカルド・アローナと対戦。アローナの執拗な寝技の前に完全に試合の主導権を握られるが、三角締めを狙ったアローナを必殺パワーボムでマットに叩き付け失神KO。(バッティングで失神したという声も多く上がっているが。)見事王者シウバへの挑戦権を獲得する。 そして約一年ぶり、『PRIDE28』でシウバと再度対戦。リングイン後携帯電話で電話するという前代未聞の行動を起こしたが、その内容は日本人の彼女にプロポーズをしたというこれから試合をする者として驚くべきものであった(プロポーズは成功し、現在は結婚している)。王者をあと一歩まで追い詰めるも、シウバの膝を顔面に喰らってKO負けを喫する。
その後『PRIDE29』ではシウバの同門ムリーロ・ニンジャを僅差の判定で破る。 そして念願のタイトル獲得に向けて挑んだ『PRIDEGP2005』では、シウバの弟弟子であり、ニンジャの実弟であるマウリシオ・ショーグンの打撃に圧倒され一回戦で敗北してしまったが、、『PRIDE.30 -STARTING OVER-』では、横井宏孝に完勝し、見事復活した。
『PRIDE31』ではユン・ドンシクを判定で下したが、キャリアや体格の面で段違いに優位なはずのユンからKOなり一本なりを取れなかったジャクソンに対し、少なからず批判が集まっている。この試合でDSEとの契約が切れる事になっており、今後の契約をどの団体と結ぶのかも注目されていたが、WFA(World Fighting Alliance)の7月22日の大会でマット・リンドランド戦を行うことが発表された。マット・リンドランド戦では、格闘技の試合において驚くべきほどのスラムをお互い見せ、最高の盛り上がりの中判定で勝利する。
次戦は、総合3戦目(当時2戦2勝)のランペイジを、総合初戦ながら破ったマービン・イーストマンとのリベンジマッチが、WFAで予定されている。
マイク・タイソンと友人である。