ギュスターヴ・エッフェル
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アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832年12月15日 - 1923年12月27日)は、フランスの技師、建設業者。通常、エッフェル塔を設計した人物として知られるが、エッフェル塔の設計者はステファン・ソーヴェストル、および構造を担当した技師モーリス・ケクランであり、エッフェルはその建設を請け負ったエッフェル社の代表である。
[編集] 経歴
フランスのディジョン生まれ。1852年にパリのグランゼコールの名門校エコール・ポリテクニークの受験に失敗したため、第2希望であったエコール・サントラルで技術職を学ぶ。1862年に結婚し、1866年には鉄道資材会社から独立、パリ近郊のルヴァロア・ペレにおいてエッフェル社を操業する。当初はパリ・コミューンなどの動乱によって国内では大きな仕事は受注できず、鉄道の架線工事など比較的小規模の工事を請負っていたが、国外での活動は活発であった。1875年にはハンガリーのペスト市終着駅とポルトガルのドゥロ川にかかるマリア・ピア橋の工事を受注し、機能や実用性のみでなく、記念碑的建造物の建設にも携わっている。
彼はパリ・オルレアン鉄道の技術者を務め、多くの鉄橋・駅舎(ガラビ橋、パリのメトロのリヨン駅など)の設計にかかわり、鉄骨の構造を大胆に剥き出しにした巨大建築物を施行した。ただし、これらはいずれも錬鉄を用いたもので、鋼鉄を素材として用いたものは比較的少ない。1885年 に建設に着手したモランヌ橋のほか数点のみである。ある意味では、彼はアメリカやイギリスの先端技術からは立ち後れていた。その他、彼の施行したものとして、パリのデパートボン・マルシェ、シャルル・ガルニエとの共作であるニースの天文台などが挙げられる。しかし、彼の技術者としての経歴は全てが順風満帆というわけではなく、1884年にはタルド河のエヴォー高架橋を建設途中に倒壊させる大事故を起こしている。
1887年 から1889年にかけて、革命百周年記念となるパリ万国博覧会のモニュメントとして、鉄骨による巨大な塔をシャン・ド・マルス公園北端のセーヌ河畔に建設する。これが有名なエッフェル塔である。完成当時は賛否両論だったが、今ではパリを代表するシンボルとなっている。
1889年、自由の女神の内部構造の設計に携わり、同年には民間技師協会の会長に就任。
1923年にパリの自ら設計した自宅で死去。パリのルヴァロワ・ペレ墓地に眠っている。
[編集] 雑記
エッフェルは身長が152cmだった。その為、エッフェル塔とエッフェルの横に小さなピラミッドを書いた風刺画があり、その小さなピラミッドには「作品の大きさで、人物の偉大さが測られる。」という意味のフランス語が刻まれている。