カール・ローブ
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カール・ローブ(Karl Rove、Karl Christian Rove、1950年12月25日 - )は、アメリカ合衆国・ブッシュ大統領の次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問。ホワイトハウスにおいて数々の役職を兼ね、影の大統領などと呼ばれることもある。
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[編集] 生い立ち
1950年、5人兄弟のうちの3番目の子としてアメリカ合衆国コロラド州の州都デンバーに生まれる。父は鉱物地質学者、母は贈物店の店長であった。9歳の時点でリチャード・ニクソンへの支持を表明するなど、政治への関心の目覚めが速かった。
1965年、家族でユタ州のソルトレイクシティに移る。その後オリンパス高校(Olympus High School)に入学。
政治活動への接触は1968年からである。高校の上級議長を務めていたウォレス・ベネット(Wallace F. Bennett)(元上院議員)の再選運動に加わるなどした。
1969年の秋には政治学専攻でユタ大学に入学。奨学金を得ながら在籍するなか、社交団体パイ・カッパ・アルファ(Pi Kappa Alpha)に加わる。学内の政治学会を通してユタ共和党へのインターンシップの機会を得る。イリノイ州に赴き、ラルフ・タイラー・スミス(Ralph Tyler Smith)の上院への再選運動に加わるなどその活動は活発なものであった。
1969年には両親が離婚し、父親が家族のもとを離れていった。直後に叔父・叔母の話をきっかけとして、その父親が実の父親ではなかったことを知ったという。兄弟のうちの幾人かとは腹違いであった。本当の父に会うのは40歳になってからである。
[編集] 政治活動家としての本格的始動
1971年6月にユタ大学を中退すると、共和党全国学生委員会(College Republican National Committee)の重要な立場である執行部局長に就任。ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュと出会うのは1973年のことである。
1978年から翌年にかけて争われたテキサス州知事選挙に際しての彼の活動は、まさに彼の政治活動家としての頭角を如実に現した出来事であった。共和党のビル・クレメンツ(Bill Clements)候補を強力に援護、その結果は実に1世紀にわたって民主党の牙城であったテキサス州の政治状況に大きな風穴を開けるに至った。共和党テキサス州知事クレメンツの誕生である。
[編集] ブッシュの参謀へ
幾多の政治活動を重ねるなか、1980年、ジョージ・H・W・ブッシュのもとに雇い入れられ、大統領選に関する運動などに関わる。ブッシュが副大統領に就任した1981年には、テキサス州に政治コンサルティングの事務所を開設している。
1993年にはジョージ・ウォーカー・ブッシュのテキサス州知事選出馬に際して、これに助言者として深く関与。以後上級顧問として国政に深く関与してゆく。
[編集] 些事
- ノルウェー系アメリカ人。
- 大学はユタ大学のほかテキサス大学やジョージ・メイソン大学等にも入学、在籍を経験しているが、最初に入学したユタ大学を含めて、全て中退という結果に終わっている。
- 1981年、30歳のときに、母がネバダ州のリノで自殺している。