オリビエ・グルイヤール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
F1での経歴 | |
国籍 | フランス |
活動年数 | 1989 - 1992 |
所属チーム | リジェ, オゼッラ, フォンドメタル, AGS, ティレル |
出走回数 | 41 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1989年ブラジルGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1992年オーストラリアGP |
オリビエ・グルイヤール(Olivier Grouillard、1958年9月2日 - )は、フランスの元F1ドライバー。1989年から1992年にかけてF1に出走していた。
[編集] 経歴
1984年にフランスF3選手権を制した後、国際F3000を経て1989年にリジェからF1デビュー。31歳でF1デビューと遅咲きであった。この年のフランスグランプリにおける6位入賞(1ポイント)が、彼の唯一の選手権ポイントである。
1990年にはオゼッラに移籍。1991年にはフォンドメタルに改称した同チームから出走を続けたが低迷しシーズン終盤に解雇、ガブリエル・タルクィーニとトレードという形で1レースのみAGSで走った(チームはそのレース限りで撤退)。1992年はティレルにシートを確保。しかし速さ、安定性ともチームメイトの活躍の影に隠れて低迷した。
[編集] エピソード
周回遅れの時にも優勝争いやポイント争いをしているドライバーに進路を譲らない事から、上位ドライバーからはよく怒りのポーズを掲げられることがあった。また弱小チームに所属していたため車も性能が悪く、よくエンジンブローを起こし、コース上にオイルをよく撒き散らすシーンが見られ、頻繁に後続車に迷惑を掛けた。日本でのテレビ中継ではこうした行為や様子に対して、古舘伊知郎から「周回遅れの天才ブロッカー」や「ミラーを見ない男」「妖怪油すまし」などと揶揄されていた。