エル・トポ
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『エル・トポ』は1970年メキシコ映画。監督アレハンドロ・ホドロフスキー。原題『EL TOPO』はモグラのこと。
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[編集] 解説
ホドロフスキーの代表作にして、伝説的なカルト映画として知られる作品である。前半は特に最強のガンマン「エルトポ」を主人公とした西部劇の体裁を取るものの、神秘主義や無常観が漂う前衛的な空気が見るものに強烈な印象を残す。描かれる思想の深さという点では他に類を見ない映画である。「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなったであろう」と絶賛され、ジョン・レノンはこの作品と次回作の興行権を45万ドルで買い取っている。
日本では寺山修司がこの映画を絶賛しており、以来存在が知られるようになった。
[編集] あらすじ
この作品は言葉による説明を超えている要素が非常に多いので、あらすじで内容を説明することはきわめて困難である。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] プロローグ
一人息子とともに旅をしていたガンマン、エルトポは住人が虐殺された町に差し掛かる。荒野の決闘でならず者達の居場所を聞き出したエルトポは、彼らに占拠されていた修道院に奇襲をかける。
[編集] 創世記
「俺は神だ」。頭との決闘に勝利し、修道院を開放したエルトポは再び旅に出ようとする。しかし頭の慰みものだった女の願いで息子を捨て、今度は恋人との二人旅となったエルトポ。しばらくは蜜月の旅が続くが、愛の証拠に砂漠にいる四人のマスターガンマンを殺せと言われ、最強を探索する旅が始まる。
一人目の達人は盲目のヨガ行者である。無の境地に達した達人は弾丸を心の空白に導くことで打たれても死ぬことがないという。エルトポは戦えば負けると感じるが、決闘場に落とし穴を仕掛け騙まし討ちで勝利を収めるのだった。
旅の途上二人目を知っているという女が現れ、彼女の案内で三人はその場所へ向かう。
二人目の達人は自己喪失を極め、いかなる精密作業でも失敗することのないガンマンである。早撃ちで彼を凌ぐものはいない。だがエルトポは隙を突いて達人の母を襲い、動揺した達人を後ろから撃ち殺す。
[編集] 預言者たち
女に嫉妬をあらわにする恋人だったが、逆に鞭で打ちのめされてしまう。だが女は相手の傷口をエロチックになでるのだった。
三人目の達人は完全者である。いかなる相手をも一発で心臓を射抜く腕を持つ。しかしエルトポは胸に鉄板を仕込むことで完全者を討ち果たす。完全すぎても失敗するのだ。
旅に同行する女はエルトポではなく、その恋人を誘い奇妙な三角関係が生まれる。一方エルトポの心には疑念が生まれ始めていた。卑怯な手で達人を倒していくことに意味はあるのか?
四人目の達人はもはやガンマンではない。何も持たず、自然と一体化した達人は銃などなくても虫取り網で相手の弾丸を打ち返すことができるのである。わしを倒しても何も得るものはないという達人はエルトポの目の前で自らの命を捨てて見せ、エルトポは自分の破壊してきたものに打ちのめされる。
エルトポは銃を捨てた。神に見放され、そして恋人にも裏切られたエルトポは全てを失い、長い眠りにつくのだった。主へ正義の祈りを願いながら。
[編集] 詩篇
眠りから覚めたエルトポは自分がフリークスたちの村で神として崇められていることを知る。彼らは洞窟に閉じ込められ、社会から見捨てられた生活を送っていた。生まれ変わったエルトポは洞窟にトンネルを作り、途絶した村を救おうと決意する。
聖者のような姿のエルトポは、長年自分の世話をしてきたという女と町に下り、退廃と偽りに満ちた下界で芸をして資金を集め始めた。
[編集] 啓示
芸での成り行きで女と結ばれたエルトポは彼女と結婚式を挙げようとする。だが訪れた教会で見たのは、かつて自分が捨てた息子の姿だった。復讐しようとする息子に、トンネルができるまで待ってくれと頼むエルトポ。息子は監視の為に同行し時には資金集めを手伝うようになる。
やがてトンネルが完成する。だが息子は復讐を果たすことはなかった。師は殺せない。エルトポはもはやかつてのエルトポではないのだ。
しかしフリークスたちが下界に下りたとき悲劇が起きる。エルトポの静止を聞かずなだれ込んだ異形達を町は受け入れなかった。彼らは皆殺しにされてしまう。エルトポは怒りにまかせて町の住人を全て撃ち殺し、自らは焼身自殺して果てるのだった。そして後にはエルトポの血を継ぐ赤ん坊が残された。残された者達の旅は続く。