エリースFC東京
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エリースフットボールクラブ東京(エリースFC東京)は、関東社会人リーグに所属する東京都を本拠地とするサッカーのアマチュアクラブチーム。
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[編集] 名称
初の公式戦が行われた4月の星座である牡羊座(aries)にちなんで 「エリースフットボールクラブ」と命名される。 1995年にチーム名を「エリースフットボールクラブ東京」と改称。
[編集] 概要
1970年立教高校(現立教新座高等学校)サッカー部OBが中心となって設立。 結成の翌年より東京都リーグを戦い、東京都リーグ1部では3度の優勝を果たす。
1993年には関東社会人大会で優勝し関東社会人リーグに参入。
関東リーグ(1部)在籍は2005年で連続11シーズン目を数え、これは東京都のチームとしては通算・連続共に最多となるが、2005年シーズンを8位(最下位)で終了し2部降格が決定したため、記録がストップした。
(これに続くのは青梅FCの通算・連続10シーズン、横河電機(現:横河武蔵野フットボールクラブ)の通算11シーズンだが、横川武蔵野FCはJFLへ昇格し青梅FCは2005年より関東社会人リーグ2部に降格したため、この記録は少なくとも11年間は破られることがない。)
関東リーグ(1部)在籍の12シーズン、一度も開幕戦に勝利できない(引き分けあり)というジンクスを持っている。
関連チームとして、弟分的存在のエリースラムズ(1980年創立)、エリースFCを引退したOBが立ち上げた30代中心のエリースFC・DX(1984年創立:東京都社会人リーグ3部 2005年にエリース30'sより改称)、 40~50代中心のエリースゴールドカード(1996年創立:東京都社会人4部エントリーリーグ)があり、現在はその全てを総称して「エリースフットボールクラブ」と呼称しており、「エリースフットボールクラブ東京」は「エリースフットボールクラブ」のトップチームとして位置付けられている。
上記4チームの運営母体にあたる「エリースフットボールクラブ」は2006年1月 NPO法人として東京都から認可された。初代の理事長にはエリースFC東京のチーム代表者でもある小宮敏裕が就任している。
[編集] チームカラー
- チームカラーは赤色
メインのユニフォームカラーは創設の母体となった立教高校サッカー部のユニフォームカラーに由来する。 サブのユニフォームカラーは、サブユニフォーム制定時に、立教高校(大学)についで、出身者の多かった慶應義塾大学ソッカー部のユニフォームカラーに由来している。
カラー | 上衣 | パンツ | ストッキング |
---|---|---|---|
フィールドプレーヤー(第1) | 赤 | 白 | 赤 |
フィールドプレーヤー(第2) | 黄 | 青 | 黄 |
ゴールキーパー(第1) | シルバー | 黒 | シルバー |
ゴールキーパー(第2) | 緑 | 緑 | 緑 |
[編集] 主な成績
年 | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | -- | 7位 | 22 | 6 | 4 | 8 | 19 | 26 | 出井正知(選手兼任) |
2001年 | -- | 6位 | 25 | 7 | 4 | 7 | 22 | 10 | 関口潔 |
2002年 | -- | 7位 | 15 | 3 | 3(3PK敗) | 3 | 11 | 12 | 関口潔 |
2003年 | 1部 | 3位 | 27 | 7 | 6 | 1 | 28 | 16 | 北川浩史 |
2004年 | 1部 | 5位 | 19 | 6 | 1 | 7 | 23 | 19 | 北川浩史 |
2005年 | 1部 | 8位 | 12 | 2 | 6 | 6 | 14 | 25 | 北川浩史 |
2006年 | 2部 | 7位 | 10 | 2 | 4 | 8 | 17 | 31 | 北川浩史 |
2001年までは10チーム総当たり2回戦(1部制)。
2002年はW杯日程の影響で10チーム1回戦総当たり(この年の引き分けにPK戦を採用)。
2003年から8チーム総当たり2回戦(2部制)に移行。
その他の成績
全国社会人サッカー大会 ベスト8(1997、2001、2002)
東京チャンピオンシップ 優勝(1997、2002、2004)
東京都サッカーリーグ1部 優勝(1988、1990、1993、1994)
[編集] 主な選手
- 奥原崇(現・FC東京普及部コーチ)