イラストリアス (空母・初代)
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イラストリアス | |
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艦歴 | |
起工 | 1937年4月24日 |
進水 | 1939年4月5日 |
就役 | 1940年5月25日 |
退役 | 年月日 |
除籍 | 1954年月日 |
要目 | |
艦種 | 航空母艦 |
艦級 | イラストリアス級 |
排水量 | 23,000 t(基準) |
全長 | 225.6 m |
全幅 | 29.2 m |
吃水 | 8.8 m |
乗員 | 1,276 名 |
機関 | パーソンズ式オール・ギヤード蒸気タービン3基、アドミラリティ重油専焼三胴式水管型ボイラー6基、出力111,000馬力、3軸推進 |
速力 | 30 ノット |
燃料搭載量 | 重油:4,850トン 航空燃料:154トン |
航続距離 | 14ノットで6,450浬 |
兵装 | 11.4cm(45口径)連装高角砲8基 2ポンド(40口径)8連装ポムポム砲8基 20mm単装機銃14基 20mm連装機銃18基 |
装甲 | 舷側装甲:114mm(水線部) 飛行甲板:76mm(格納庫上部のみ)、114mm(格納庫側面) 防御主甲板:76mm |
搭載機 | 33機 |
イラストリアス(HMS Illustrious)はイギリス海軍の航空母艦。イラストリアス級の1番艦。同型艦はヴィクトリアス、フォーミダブル。また、準同型艦にインドミタブル型とインプラカブル級がある。
本級は航空母艦史のなかで初の格納庫にも装甲を施したクラスである。本級以前にも飛行甲板や舷側に装甲を張った空母は存在するも、本級はさらに一歩進んだダメージコントロール理論により格納庫を防御する思想で設計された。しかし、船体上部に重量物を置いた関係でトップヘビーを回避するために搭載機数は抑えられ、軽空母並みの33機に甘んじなければならなかった。そのため、「インドミタブル」や「インプラカプル」では装甲厚を減じたり、船体を大型化して搭載機を増す等の改設計が施された。
イラストリアスはバローのヴィッカース・アームストロング社で1937年4月27日に起工され、1939年4月5日に進水し、1940年5月25日に竣工した。
第二次世界大戦開戦後、地中海艦隊に所属しベンガジ攻撃などに参加。イタリア駆逐艦ボレア等を撃沈する戦果をあげた。1940年11月11日、イラストリアスから発進したソードフィッシュ雷撃機がタラント軍港在泊のイタリア戦艦を攻撃し、コンテ・ディ・カヴールを撃沈し、リットリオ、カイオ・デュイリオを大破させた。
1941年1月10日、船団護衛中(エクセス作戦)にシチリア島東方でJu 87急降下爆撃機の攻撃で命中弾6発と至近弾3発を受けて大破した。だが、機関は無事であり、その日のうちにマルタに着いたイラストリアスはそこで修理を受けた。その修理中にも幾度も爆撃を受け16日の空襲では爆弾が命中した。応急修理後23日にマルタを離れ、25日にアレクサンドリアに戻ったイラストリアスは完全な修理のためアメリカに向かい、ヴァージニア州のノーフォーク工廠で修理を行った。
1942年に復帰し、すぐにインド洋に派遣された。5月、インドミダブルと共にヴィシー政権側についていたマダガスカルのディエゴ・スアレズへの上陸作戦に参加した。
1943年、イラストリアスは地中海に戻り、サレルノ上陸作戦等に参加した。
1944年、東洋艦隊に編入され、米空母サラトガと協同で4月19日にサバンを、5月17日にはスラバヤを空襲した。7月22日にも他の英空母と協同で再度サバンを空襲した。1945年1月24日と29日にはイラストラスを含む英空母4隻の艦載機がパレンバンを空襲した。
1945年、太平洋艦隊に編入され、他の同型艦と共に沖縄上陸作戦を支援した。4月6日、沖縄沖で日本軍の特攻機の突入を受け損傷した。
戦後は訓練及び試験用に使われた。1954年、除籍され1956年に解体された。