イオン・アントネスク
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イオン・アントネスク(Ion Victor Antonescu, 1882年6月14日 - 1946年6月1日)は20世紀前半のルーマニアの軍人・政治家。
ワラキア地方出身。元帥。フランスで軍事教育をうけ、パリ、ロンドンの駐在武官、ルーマニア王立騎兵学校の教官、校長等を務めた後、1933年に参謀総長となり、ルーマニア王立軍の近代化を計る。しかし鉄衛団と関係を持ったため、1937年に投獄される。釈放後、国防相となりソビエト連邦への自国領土の割譲に反対してカロル2世と対立し、再び投獄される。1940年には釈放され、首相に就任。国民投票の末、国家指導者という名前の地位に就き、枢軸外交を推進した。独ソ戦が始まると枢軸国側に立ち、ルーマニア軍のオデッサ侵攻、スターリングラード、カフカス侵攻を指揮した。1944年8月23日の宮廷政変で失脚し、戦後戦犯として処刑された。余談ではあるが彼は一人称を使わなかった。