アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
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代: | 大統領 |
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任期: | |
前大統領: | |
生没年: | 1794年-1876年, |
生地: | ベラクルス州 |
ファーストレディ: | |
本職: | 軍人 |
政党: |
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ(Antonio López de Santa Anna, 1794年2月21日 - 1876年6月21日)は、メキシコの軍人、政治家。7回も大統領を務めた。有能な軍人だが政治家としては確固たる方針もなく気紛れに国を統治した。良くも悪くもメキシコが生んだ英雄の一人である。
[編集] 生涯
1794年ベラクルス州ハラパのクリオーリョの家庭に生まれる。16歳で軍人の道を選びメキシコ独立戦争では副王軍騎兵隊将校として独立派と戦い頭角を現した。しかし、アウグスティン・イトゥルビデに従い1821年に敵に寝返り1823年にはイトゥルビデ帝政の崩壊に一役かった。その後の政権に対しても協力と寝返りを繰り返したが、1829年に再征服を狙って侵攻してきたスペイン軍をタンピコで破り国民的英雄になった。
1833年の選挙で大統領に選出されたが、二ヵ月後に病気を理由に自由派の副大統領に執務を任せてしまう。副大統領は、自由主義的改革を実行してこれに反発した各地の保守派が武装蜂起した。サンタ・アナは反乱軍を鎮圧すると大統領の実権を掌握して中央集権国家体制に移行させようとした。だが、すでにアメリカ移民の多かったテキサス州は反発して独立運動ヘ発展する。今回も鎮圧に乗りだしアラモの戦いで勝利するがサン・ハチントの戦いでは捕虜になった。条件付きで解放された後、国外に亡命した。
しかし、1838年にフランスとの戦争が始まると亡命先から呼び戻され再びメキシコ軍を率いて勝利に導いた。1838年~1844年にかけて4度も大統領に指名されては退陣を繰り返し1844年には議会と対立してキューバに亡命するが、1846年に米墨戦争が勃発すると呼び戻されて戦うも完敗して再び亡命した。その後、戦後の混乱から帰国できるようになり1855年に追放されるまで大統領を務めた。1876年、死去。
[編集] 関連作品
『アラモ』(映画)
[編集] 外部リンク
- Santa Anna Letters on the Portal to Texas History
- The Handbook of Texas Online: Antonio Lopez de Santa Anna
- Benson Latin American Collection - Antonio López de Santa Anna Collection
- Sketch of Santa Anna from A pictorial history of Texas, from the earliest visits of European adventurers, to A.D. 1879, hosted by the Portal to Texas History.
- Archontology.org, Home » Nations » Mexico » Heads of State » LÓPEZ de SANTA ANNA, Antonio
- Texas Prisoners in Mexico August 3, 1843 From Texas Tides