お天気チャンネル
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お天気チャンネル(おてんき-)は、1988年10月から1989年9月まで毎週月~金曜午後4時台にフジテレビで放送されていた気象情報番組である。
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[編集] 概要
- 徹底的にお天気にこだわった異色の番組で、実に特集も手が込んでいた。CGも番組独自のものを使用(ただしテロップはCGではなく往時標準の手書き)。第3制作部(現・情報制作センター)をメーンに共同テレビが月・水・金、日本テレワークが火・木の制作を担当。
[編集] 放送時間
[編集] 1988年10月~1989年3月
- 16:01~16:55 フジテレビ第1スタジオから生放送
- 16:01スタートなのは「ショットガン」があったため。番組表もそうなっていた。
[編集] 1989年4月~1989年9月
- 16:00~16:30
- 「パラダイスGoGo!!」開始により短縮、スタジオも「パラGo」に提供したため、関東各地から生中継形式に。
[編集] コーナー
- 天気予報(全国・関東)
- きょうの指数
- お天気特集
- お天気中継(フジ系列局と関東)
- お天気クイズ(1988年11月まで)
- 暮らしと天気
[編集] 出演
[編集] お天気中継
関東ローカル番組にもかかわらず、1日に系列局3局(後期は1日全くなしか1局)からのリレー生中継があり、気象にちなんだ話題を放送していた。ちなみに関西テレビと東海テレビ、九州の一部のクロスネット局は不参加で、関西テレビはナイターの番宣に1度登場したのみであった。
関東の中継は毎日あり、担当は「オールナイトフジ」での放送禁止用語発言後の出入り禁止を解かれたばかりの松本明子であった。
[編集] 時刻出し
当時夕方の番組には珍しい、時刻出しがあった。書体は当時のフジテレビ標準のもの。CM中も表示。1988年12月より実施。
- 前期・・・16:02~16:51
- 後期・・・16:00~16:26
[編集] スポンサー
1988年10月~1989年3月
1989年4月~1989年9月
- P&G(毎日)・・・30秒
[編集] その他
- 今では当たり前になった「○○指数」をよく紹介していた。
- お天気解説には平等に日本気象協会とウェザーニューズの解説者が毎日交替で出演していた。
- この頃、太平サブロー・シローは吉本興業を辞め上京していた不遇の時代だった。よく相方の太平サブローが見学に来ていた。
- のちに女子アナの鑑とまで言われる八木亜希子のデビュー作だったが、当時は同期の有賀さつき、河野景子(後に八木を含め「花の3人娘」と呼ばれることになる)ばかりに脚光が浴びせられており、ついには1989年春の改編のキャラに2名が抜擢されることとなる。関東ローカルの番組しか持たせてもらえない八木にシローは、「ほれ、(春から)有賀、河野はフジの顔だぞ!」「お前は(アナウンス部の)茶碗洗いだから」とバカにされるという、当時は非常に陰ひなたな位置だった(当時、部内の雑用はすべて新人がやっていた)。
- キュー出し後、八木が台本のかわりに読みかけの「ビッグコミックスピリッツ」を持って出るという大失態をした。「愛読書なもので・・・」と気にとめる様子もなかったが、始末書を書かされたらしい。
- 荻島と八木は番組終了翌年夏に「アンテナホット7」で再タッグを組む。