VHS
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VHS (Video Home System)は、日本ビクターが1976年に開発した家庭用ビデオ規格。当初は記録方式を示すVertical Helical Scanの略称であったが、後にVideo Home Systemの略称として定着した。
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[編集] ビデオとしてのVHS
VHSが開発される前年にはソニーが開発した家庭用ビデオベータマックスが発売されている。VHSはその対抗規格として脚光を浴び、史上類を見ないフォーマット戦争が約10年間も続いたが、最終的にはVHSが生き残った。 その要因としてはいくつかあるが、
- VHSを採用するメーカーを積極的に獲得し、多数ファミリーを形成できたこと、特に松下電器産業をグループに引き込んだことが大きい。
- 記録時間を最初から実用的な2時間に設定し、その後も長時間化に成功したこと。
- 米国市場でのOEM供給先を数多く獲得することに成功したこと。
- 量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できたこと。
- VHSの優位を見た映像ソフトメーカーが、VHSでしか商品を発売しなくなり、レンタルビデオ店でもVHSのみとなったため、ますますVHSへとシェアが雪崩れうっていった。
などが上げられる。
なお、日本市場にて、デッキ販売時に性的興奮を煽る映像を収めたテープを販売店がサービスしたり、1980年代初頭話題になった裏ビデオなど、アダルトビデオ等の供給が専らVHSであり、それが普及に貢献したという話もあるが、真偽の程は不明。実際、ベータマックスのアダルトビデオも発売されていたが、こういった成年向けビデオ分野では、VHSの方が圧倒的なシェアを誇っていた。セルビデオは大量生産する必要があり、全体的に見てベータマックスよりローコストなVHSが有利だったのかも知れない。いずれにしろ、アダルトビデオの類がVHSの勝利に一役買ったという確かな証拠はない。
1976年10月に日本ビクターが発売したVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)は当時の金額で定価25万6千円もし(留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売で1万円もした)、シャープ、三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。又、VHSの録画テープも、当初は120分が6000円という価格であった。また、この当時は現在のVideo Home Systemではなく、Vertical Helical Scanの略称ということになっていた(現在はビデオデッキ、録画テープ共に当初の20分の1未満の価格で入手できるまでになった)。
1977年には、松下電器産業が普及型のVHSビデオデッキ「マックロード」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。
VTRは当初2ヘッドであり、1983年秋には、同年夏にソニーがBeta hi-fiと称するハイクオリティステレオハイファイ音声記録方式を家庭用1/2インチビデオでは世界で初めて実現したのに対抗し、松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用したアナログHi-Fiステレオオーディオ機能を追加したNV-800を発売。この機能は、直ぐにVHSのアナログHi-Fiステレオ規格の標準として採用。正式なVHS-HiFiとしては、ビクターのHR-D725が一号機である。(ダイナミックレンジは当初80dB以上、後の機種では90dBに向上した。周波数特性20~20000Hzの特性を持つ。)HiFi音声を備えない、いわゆるモノラルVCRは単体機では1990年代後半にほぼ絶滅しているが、テレビデオには今なおHiFi音声がないものが少なくない。
テープは、幅が1/2インチのカセットタイプで標準録画時間が2時間であった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったり、テープ幅やカセットのサイズも様々だったりと、互換性のない規格が氾濫していた。VHSの特徴としてビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、現在は210分が最長となった。また規格の範囲を大きく逸脱しない形での改良を続けており、HQやHIFIオーディオ対応、ビデオカメラ規格のVHS-C、高画質機種S-VHS、アナログハイビジョン対応のW-VHS、デジタル放送対応のD-VHSなど幅広く展開している。すべての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「ノーマルVHS」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。
また、長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため1977年に米国市場向けの2倍モード(LP)、1979年に3倍モード(EP)が開発され幅広い機種に搭載された。またその後5倍モードも開発され一部の機種に搭載されている。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種もあるなど、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。ベータ、8ミリ、LDなど様々なメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式としてデファクトスタンダードとなった。
日本では、地上デジタル放送開始された2003年以降、DVDやHDDを用いる次世代型ビデオレコーダの販売台数が増えてきており、VHSレコーダの市場は縮小傾向にあるが、全世界では、まだまだVHSは、メジャーな存在と言えるだろう。ちなみに、VHSのハードの普及台数は、全世界で約9億台以上(テープに至っては、推定300億巻以上)と言われている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年にはIEEEによってVHSの開発を「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』への認定を果たした。現在でもなお、海外のメーカーなどから、VHSビデオのライセンス生産に関する話が日本ビクターに対してあるという。
[編集] コンピュータ用としてのVHS
VHSが普及するにつれ、量産効果が上がり、テープ価格が大幅に値段を下げた。オープンリールを多用していたコンピュータ業界はテープの安さからデータカートリッジとしての利用を推し進めた。富士通などは大型コンピュータの補助記憶装置として用い、数百本のVHSテープを筐体内ラックに納め、コンピューター制御によりジュークボックスさながらのオートローディングを行わせ、大型磁気ディスク装置のバックアップ装置として活用した。この際使用したテープは市販のビデオ用テープと同じ規格の物を使用した。
[編集] プロ・オーディオ用としてのVHS
1991年、米ALESIS社がS-VHSテープに8トラックのデジタル録音を可能にしたADAT(ALESIS DIGITAL AUDIO TAPE)を発売。機器ばかりでなくメディアも安価ということで、中小のスタジオやホームスタジオで急速に広まった。デジタルがゆえに事前にフォーマット作業が必要で(後に録音と同時フォーマットが可能になる)、120分の録画テープで約41分の録音が可能。デジタル記録はヘッドとの物理的接触に弱いため、ベース・フィルムを強化したADATロゴ入りの推奨S-VHSテープも存在する。当初のTypeIフォーマットではサンプリングビット/レートは16bit/44.1kHzと16bit/48kHzであったが、後のTypeIIフォーマットで24bitにも対応した。1チャンネルの記録につき2トラックを使って96kHzを実現するS/MUXという規格もある。一方デジタルのインターフェイスは標準の角型オプティカル(S/PDIF)で8チャンネルを同時に送受信できるが、もちろん一般の2チャンネルのフォーマットとは互換性はない。16台まで同期できる。
現在この規格は一般化し、adat(エーダット)として、Hi8テープに同様の録音ができるティアック社のDTRS規格とともに、ユーザーの根強い支持を得ている。
[編集] VHSフォーマット概要
- 記録方式:ヘリカルスキャン方式
- 記録ヘッド数:2
- ヘッドドラム径:62mm
- ヘッドドラム回転数:29.97Hz (約1800rpm)
- カセットテープサイズ: 188×104×25mm
- テープ幅:12.7mm
- テープ送り速度:約33.34mm/s(SP)/16.76mm/s(LP)/11.18mm/s(EP)
- 記録トラック幅:約58μm(SP)/29μm(LP)/19μm(EP) ※LPモード対応機種は、日本国内ではほとんど普及していない。
- 音声トラック
- 信号方式
[編集] VHS発売エピソード
アンペックス社の巨大な業務用VTRを始まりとして、NTSC方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式の開発以降、各社比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売。もちろん方式はバラバラだった。松下・ビクター・ソニーの三社は家庭用も見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格(Uマチック)に合意。発売したが、高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途、教育機関、旅館/ホテルの館内有料放送(ブルーフィルムもどき)などが主な販売先であった。
そこでソニーは広く家庭への普及を狙いテープ幅を1/2インチ、カセットがコンパクトなベータマックスを開発。各社に家庭用VCRのベータ方式での統一を呼びかけた。しかし、ビクターも同じテープ幅1/2インチの家庭用VCRを開発していた。カセットのコンパクト化よりも長時間録画を優先。ベータはUマチックとおなじUローディング方式をそのまま用いたのに対し、開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した。
そしてソニーに続いてビクターも家庭用VCR、VHSの開発を発表。ビクターは親会社の松下電器産業にVHS方式への参加を要請したが、当時、子会社の松下寿が開発したVX方式のデッキを販売していたこと、さらにベータ方式を支持する社内意見もあり松下の反応は煮え切らないものだった。
そこで、のちに「VHSの父」と呼ばれる高野鎮雄が松下幸之助に直訴。松下本社で幸之助、松下、ソニー、ビクター各社社員ら出席し、両社のビデオデッキを見比べる会議(直接対決)が開かれた。その席で幸之助は「ベータは100点(満点)、しかしVHSは150点。部品点数が少ないので(VHSは)安く造ることが出来る」と言ったといわれる。通産省が規格分裂に対し、難色を示していたこともあり、新規格での規格統一も提案したが、両社とも自社規格を引きこめる気が無いために幻となり、松下はVHS方式への参加を決めた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは、VHSデッキのほうが軽く、幸之助によるとそれはギリギリ持ち帰れる重さで、お客さんが買ったら自宅に持ち帰りすぐ見られる(ベータだと販売店の配送を待たなければならない)といった幸之助らしい基準であった。
[編集] その他エピソード
- VHS/β戦争の火蓋が切っておとされたとき、ソニーは自社工場で生産されたものは自社ブランドで販売していたが、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーにOEM供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それは、いろんなメーカーで販売することによって他社の販売網を活用できるし、VHSのほうが多数派であるような印象を持たれるように狙ったものであるといわれる。
- 松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCA社より、アメリカンフットボールの録画のためにさらに長い録画時間が必要という要望があり、二倍録画モードをつけたVHSデッキを開発、OEM供給したが、ビクターの了承をえないものだった。互換性を重視するビクターは松下の勝手な振る舞いに怒ったらしいが、βのβIIなどの長時間録画モードへの対抗上、三倍録画モードでも画質は二倍録画モードとほとんど変わらないうえに特殊再生が可能、という技術的見地から三倍録画モードがVHS規格に追加された。
- VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅はコンパクトカセットより狭かった。三倍録画モードを使うとテープスピードが遅くなり、さらに音質が悪化。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーではすこしでも高音質化すべく、ドルビーノイズリダクションシステム、dbxなどの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していた。
- 松下の独自規格によるHifi機、松下のNV-800はHifi音声トラックの信号処理にdbxを使っていた。しばらくのち、NV-800が採用したHifi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHifiビデオデッキをVHS規格化するにあたり、dbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が採用された。NV-800で録画されたカセットをVHS-Hifiデッキで再生すると音声が多少歪む可能性がある。
- VHS/β戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬライセンス収入があった。
- 1977年にビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHS1号機のHR-3300は戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴをつけた唯一のデッキとなった。