レーザーディスク
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レーザーディスク(Laserdisc、LD)は、直径30センチのディスクに両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスク規格である。
レーザーディスクという名称は日本国内ではパイオニアの商標(発売当時は「絵の出るレコード」というキャッチコピーが使われていた)。規格名としてはレーザービジョンディスク(LV)という名称が用いられたが、後に商標公開され、事実上一般名詞化していたレーザーディスクという名称を他メーカーも使用できるようになった。
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[編集] 歴史
[編集] 誕生
- 1977年にフィリップスが開発した技術。日本においてはパイオニアが製品化し、民生用としては1980年に発売された。当初はパイオニアのみが製品を販売し、日本ビクターの開発したVHD陣営と販売競争を繰り広げたが、もともとVHDと比較して画質面のアドバンテージがあったことに加え、非接触式のため劣化しないと考えられていたことや、コンパクトディスクとのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットもあり、採用メーカ数では圧倒的に不利(13対1)だったが、結果的に規格争いに勝利した。なお、当初どちらの陣営にも参加していなかったソニーがLDを採用(商品名はレーザーマックス。当初はパイオニアからのOEM後に自社生産)した時点で結論が出たとも言われている。
[編集] 普及
- 初期のLDは、メインとなった映画ソフトが7000円前後の価格設定で発売されていたが、1980年代終盤からパイオニアLDCが中心となって「エバーグリーンシリーズ」「ブロックバスター」等と称して5000円を切る価格帯で次々と人気ソフトを発売、やがて他社もこれに追随する価格帯の製品を増やし、LDは1990年代前半を最盛期としてユーザーを拡大、多くの映画、音楽、ドキュメンタリー、アニメ、その他各種のコンテンツがLDフォーマットで発売され、パイオニアからはCD/LDコンパチプルプレイヤーを搭載したミニコンポ「プライベート」も登場した。特に1992年ころからは、それまでの映画のテープソフトで主流だった画面のトリミングをやめ、できるだけ劇場公開時の画面サイズに忠実なワイドスクリーンサイズの画面で映画ソフトを次々に発売して、映画マニアを中心にユーザー層を厚くしていった。
- 映画LDの中には、1本の映画をワイドスクリーンとテレビサイズの2パターンの商品で発売するなどマニアックなラインナップがなされたものも多く、これらの中には現在のDVD-Videoで発売されているソフトでは見ることが出来ないサイズのものもあったが、一方で「同じ映画のソフトが何種類も発売されている」ことから当時の一般的ユーザーを混乱させる副作用も生んでいった。
- また、テレビドラマやアニメーションなどのシリーズ作品を複数枚のLDに全話収録して一括販売する「LDボックス」という形態の商品も数多く発売され、コアなファンやマニアを取り込んでユーザー層を拡大させていった。
[編集] 衰退
- しかしLDの家庭用プレーヤーは録画のできない再生専用機で、かつソフトは販売専用という戦略をとり、末期の一時期を除いてレンタルは全面禁止だった(この点はVHDも同じ)ため、これらの要因によりLDプレーヤーの低価格化も加速せず、普及率はビデオテープレコーダ(VTR)に遠く及ばなかった。
- そしてソフトの発売種と量が増える一方で生産ラインの少なさが次第に影響し始める。1994年~1995年ころには一部の人気商品を除いてほとんどの商品が初回ラインのみの生産で終了するようになり、発売と同時に販売元品切れとなるソフトが続出(新譜として発売された月に廃盤で入荷不可という奇妙な商品も相次いで出現してしまった)、需要に供給が全く追いつかない状態となる一方で、これまでは高額だったテープソフトの廉価と安定した供給が進み、ユーザーの離脱が始まっていく。
- (なお、アニメLDソフトにおいては、1980年代後半の時点で、ここで述べられたような供給体制の不備が一部のビデオ雑誌で指摘されていた)
- やがて1996年に登場した家庭用DVD-Videoは、最初期こそソフト供給の出足が鈍かったものの、1997年ころから多くの映画会社が一斉に安定した供給と比較的廉価な価格帯でソフトを発売するようになり、家庭用再生メディアとしてLDはその地位を急速に奪われていく。そして2000年ころまでに大部分のメーカーがLDソフトの製造を中止、映像メディアの主役となることはついになかった。現在は専らカラオケ機器としての需要に活路を開いている。
- 2006年9月現在でもDVDとの一体型機「DVL-919」とカラオケプレーヤー「DVL-K88」・オールインワンカラオケシステム「DVK-900」、CDとの一体型機「CLD-R5」の4機種が細々と発売を続けている。現在のところこれがLDプレーヤーの最終機種である。
[編集] 規格
LDメディアは記録面にアルミ蒸着を施したうえでアクリルでコーティングしたもので、直径30センチと20センチのものがある。両面張り合わせディスクが基本だが、20センチディスクにはCDと同じポリカーボネートを使用した張り合わせ無しの薄型も存在する(非対応のプレーヤーでは厚さを調整するスペーサを重ねて使用する必要がある)。なお、通常のディスクは盤面が銀色だが、末期に登場したレンタル専用商品は金色にして区別している。
両面記録ディスクではA面/B面と呼ぶ。レコードと違ってピックアップはディスクの下にあるため、A面と書かれている面を表にして再生した場合、実際に再生されているのは裏面の記録内容である。 つまり、レーベルに記載されている面と実際に信号が記録されている面は逆である。 なお、反対側の面を再生するにはレコードのようにプレーヤーから取り出してひっくり返す必要があるが、後にディスクを取り出さずに連続再生できるプレーヤーも発売された(ピックアップがU字形に移動する)。初搭載したのは三洋電機が1987年に発売したSLV-J1(愛称はLevin。両面再生機能はジェットターンと呼ばれた。)
映像はアナログ(ダイレクトFM)、音声は開発当初はアナログ(FM)のみであった。1984年に世界初のCD/LDコンパチブルプレイヤ「CLD-9000」を市場に投入するに併せ、デジタル(44.1kHz/16ビットリニアPCM)音声の記録が未使用帯域の利用で追加された。記録はレーザーを使って読み出す。映像は水平解像度400本以上という高画質を誇る。直径30センチのディスクでは、CAV方式(回転数1800rpm)では片面30分、CLV方式(回転数1800rpm~600rpm)では片面1時間の映像を記録できる。
トラックは螺旋状に記録されており、CAV方式の場合、NTSCの1フレーム(1/30秒)の情報が螺旋の1周に記録されている(30回転/秒=1800rpm)。 すなわち、一時停止は1周を繰り返し再生、コマ送りは順次前後の1周に移動、変速再生はトラックの読み出し間隔を変更、という仕組みになっている。 一方、CLV方式では一定の線密度で記録されているため、トラックとフレームの間に物理的な関連はなく、正逆サーチ以外の特殊再生はできなかった。このため、1980年代後半にプレーヤーにデジタルメモリーを搭載してCLV方式での特殊再生を実現した。デジタルメモリー初搭載のプレーヤーは1986年発売のLD-S1。
LDフォーマットは、NTSCの全ての帯域をそのまま記録していると表現されることもあり、DVD-Videoのような圧縮が一切ないのが特徴である。この点からDVDのMPEG-2による圧縮ノイズを嫌い、LDの画質を好む人もいる。特にコマ送り、正逆サーチなどの特殊再生ではLDが優れている。ただし、最新コンテンツはLDで発売されることは全くない。
MUSE規格でハイビジョン映像を記録したものもある(Hi-Vision LD対応プレーヤーが必要)。
1987年にCD VIDEO(CDV)が新規に市場投入するに併せて、CD-DAと同様のTOC情報が合わせて記録されたデジタル音声付レーザーディスクが一般的となった(「LaserVisionマーク」「CD VIDEOマーク」「DigitalSoundマーク」の3つがジャケットやディスクに併記されている)。 当初はこのタイプのディスクをCD VIDEO LDと呼んでいたが、元となるCDV規格が思ったように普及しなかったことから、1989年頃からは「LASERDISCマーク」と「DigitalAudioマーク」の併記されたものがTOC付きLDと認識され、現在ではこれが主流となっている。
末期にはドルビーデジタルやDTSといったデジタルサラウンドが導入され、またハイビジョンで製作されたマスターテープを用いたりワイド画面でワイドスクリーン作品をより高解像度で鑑賞出来るよう画面の横幅を3/4に圧縮したスクイーズ方式も一部ソフトで採用された。音質/画質は大きく向上し、これらの技術はDVDにも引き継がれている。
特にドルビーデジタルは、初期DVDソフトの音質がLD収録のものより劣ると言われていたものを、ビットレートを(384kbpsから最大448kbpsまで)引き上げる事でLDを上回る音質を達成した。
[編集] 注意点
[編集] メディアの劣化
LDフォーマットが市場へ投入された当初は「半永久的」という表現を使っていたが、1980年代中頃からこの表現は中止された。実際は吸湿などによる変化によりディスクが劣化し(アルミ記録面が酸化)、ノイズ混入などの原因となった。この事象がほぼ解決されたのは時代が1990年代に入ってからであり、それ以前に製造されたレーザーディスクには多かれ少なかれノイズが乗っているものが見受けられる。このことから後に開発されたDVD規格などでは「半永久的」という表現は消えている。
[編集] S端子による映像出力
LDプレーヤーでは多くの場合コンポジット出力に加えてS端子出力も備わっている。 しかし必ずしもS端子で接続したほうが画質がよいともかぎらないので注意が必要である。
VHSやDVD-Videoなど、輝度信号(Y)と色信号(C)が分離記録されている場合は、S端子で接続したほうがY/C混合・分離が発生しないため画質が向上する。 しかしLDの場合、もともとコンポジットで記録されているので、Y/C分離は避けられない。 プレーヤーとテレビモニタをコンポジットで接続すればモニタでY/C分離することになり、S端子で接続すればプレーヤーでY/C分離することになるため、モニタのY/C分離性能のほうがよい場合はコンポジットで接続するのが正解ということになる。
しかし、さらにややこしいことに、実は中~低価格帯のプレーヤーでは、ディスクから読み取ったコンポジット信号がそのまま出力されているわけではなく、プレーヤー内部でY/C分離したものをS端子に出力する一方で、再度Y/C混合したものをコンポジット出力しているものが多い。このようなプレーヤーでは、S端子で接続したほうがよい。高級機種では、このようなことをしていないという意味で、「ダイレクトコンポジット出力」などと謳っているものもあるが、本来はこれが当然の姿である。
なお、DVDとの一体型機の一部はコンポーネント出力端子を備えるが、同端子からのLDの画像は白黒になってしまうため、この方法での再生はできない。
[編集] 他分野への展開
従来のVTRとは異なり、ランダムなアクセスを可能としたLDはゲーム用途にも活用された。リモコンを利用したLDプレーヤー単体でプレイ可能なゲームから、アナログ音声部にプログラムを収録し、MSXパソコンでコントロールするシステム、LDにデータを記録したLD-ROMを使ったゲーム機にレーザーアクティブがある。アーケードゲームにもLDは採用され、独特なプレー方法のLDゲームは一つのジャンルを形成した。
[編集] 年表
- 9月、オランダのフィリップス社が開発した光学式ビデオディスク「Video Long Play(VLP)」を発表。
- 12月にアメリカのMCA社による光学式ビデオディスク「Disco Vision」を発表。
- 1974年9月、フィリップスとMCAが協議をし、フィリップス/MCA方式として両方式を統一。
- 1975年、ドイツのベルリンで行なわれたフィリップス/MCA方式のデモにより、パイオニアが同方式を採用。
- 1977年10月、パイオニアとMCAの共同出資でユニバーサル・パイオニア株式会社(UPC)を設立。
- 1979年2月、UPCがアメリカで事実上の業務用第1号機PR-7820を発売。
- 1980年
- 4月、パイオニアがレーザーディスクの商標を採用。
- 6月、アメリカで民生用第1号機VP-1000を発売。
- 11月にパイオニア、フィリップス、MCA、IBMによる「レーザービジョンアソシエーション」がアメリカで設立される。
- 4月、UPCがパイオニアの100%子会社となりパイオニアビデオ株式会社(PVC)に改称。
- 10月、パイオニアがカラオケ向けのプレーヤーを発売し、1983年春から業務用カラオケ機器販売大手の第一興商がレーザーディスクを取り扱う。
- 11月、ピックアップに従来のガスレーザーに代わり新開発の半導体レーザーを採用したLD-7000を発売。これによりプレーヤーの小型化と低価格化が進む。
- 12月、ソニーがLDの参入を発表し、翌1984年4月からパイオニアのOEM供給でレーザーマックスのブランドを用いてプレーヤーを発売。
- 6月、日本を中心としたアジア太平洋地域で「レーザービジョンアソシエーションパシフィック協会」(LVAP協会)を設立。38社が加盟。
- 9月、パイオニアが初のCDとLDのコンパチブルプレーヤーCLD-9000を発売。同時にLDにデジタル音声がオプション規格として盛り込まれる。
- 12月、それまでカラオケ向けで使われてきた20cmのディスクが一般向けソフトにも採用。
- 2月、日立と日本コロムビアがパイオニアのOEM供給でプレーヤーを発売。
- 3月、日本マランツがパイオニアのOEM供給でコンパチブルプレーヤーを発売。
- 6月、ソニーが自社開発のプレーヤーを発売。それまでの水平解像度350本が370本に。
- 6月、パラマウント映画とユニバーサル映画の権利を持つCICがLDにソフト供給。これにより、アメリカの映画会社7大メジャーが出揃う。それまでLDに供給しなかったのは、VCTがVHDの開発者である日本ビクターとの合弁会社「CIC・ビクタービデオ」から発売されていたためである。
- 11月、日本楽器(現・ヤマハ)が自社開発のプレーヤーLV-X1を発売。10万円を切り、水平解像度400本を達成。
- 長時間ディスク(CLV)では不可能だった静止画やコマ送り、スロー再生などの特殊再生をデジタルメモリの搭載により可能にした初のLDプレーヤーLD-S1がパイオニアより発売。
- 松下電器産業がCDビデオ(CDV)が再生できるプレーヤーとしてLDプレーヤーに参入。
- 5月、テレビアニメ『うる星やつら』全話を収録した50枚組のソフトがキティレコードより発売。LD-BOXと呼ばれる商品形態の第1号。
- 4月、東芝EMI(現・トエミ・メディア・ソリューションズ)御殿場工場がレーザーディスク生産を開始。
- 10月、パイオニアとKDDが書き換え型レーザーディスクを共同開発したことを発表。
- 11月、パイオニアが自社の商標だったレーザーディスクを他社に無償開放。
- 11月、CBS/SONY GROUP(現・ソニー・ミュージックマニュファクチュアリング)静岡プロダクションセンターがレーザーディスク生産を開始。
- 12月、LD-ROMを発表。
- 2月、レーザービジョンディスクと呼ばれるフィリップス/MCA方式を開発したフィリップスが同方式を今後はレーザーディスクシステムと呼ぶことを発表。
- 8月、LD-ROMプレーヤーのレーザーアクティブがパイオニアより発売。
- 10月、それまで全面禁止だったLDレンタルを一部のソフトに限り解禁。
- 12月、パイオニアがLDとDVDのコンパチブルプレーヤーを発売。
- 三菱樹脂のLD製造子会社ダイヤディスク株式会社が解散。レーザーディスク製造事業からも撤退。
- 9月、クラレがレーザーディスク製造事業から撤退。
- 4月、パイオニアビデオ株式会社(PVC)が分割され、光ディスク製造事業から撤退。
- 3月、コロムビアミュージックエンタテインメントがレーザーディスク製造事業から撤退。
[編集] エピソード
- 商標公開される前には吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』の歌詞中に、「レーザーディスク」の一言がある。当時は販売不振のさなかであり、パイオニアは吉幾三に謝礼を贈ったとの説がある。
[編集] 参考資料
- 林正儀『AV新時代を拓く レーザービジョンディスク入門』(1985年、啓学出版)
- 荒井敏由紀『[ドキュメント]孤立からの逆転 パイオニア1vs13の賭け』(1990年、日本能率協会)
- 本多晋介『パイオニアLD戦略会議室』(1991年、日本文芸社)
- 佐藤正明『映像メディアの世紀』(1999年、日経BP)